5月17日。今日はシャンリウルファ最終日。まずはDrムサンナ、通訳のムスタファと一緒に町の問屋街で扇風機の買い出し。シャンリウルファの夏は気温50度を超えるそうだ。まだ五月というのに、汗ばむ陽気。難民たちは窓のない倉庫や空き店舗に住んでいるので、扇風機がなければ地獄の日々。なので、扇風機と食料を買いだす。トラックに詰め込み、ハヤーティ・ハラーン地区へ。難民たちは賃貸料が安いので、ここに住み着いている。空き倉庫からわらわらと子どもが出てくる。扇風機を配ることがばれると、パニックになる。なのでトラックを隠して、ムスタファの車に少しずつ積み込んで、少しずつ配っていく。それでも目ざとく、子どもの手を引いて母親たちが寄ってくる。
「わかった、あなたがたの家に案内して」。母親たちは満面の笑顔になり、それぞれの家に招かれる。「ここで難民生活をして3年になるけど、扇風機をもらったのは初めてよ。本当にありがとう」。母親がお礼を言ってくれる。
支援物資のチョイスは間違ってなかったようだけど、何しろ難民の数が多すぎて、みんなに行き渡らない。11月にここを再訪することになるかもしれないが、その時はたくさんの毛布が必要だろう。
食料はDrムサンナが運営するリハビリ施設、ブナンソサエティーへ。ここで週6日配食サービスをしていて、約1500人が炊き出しを受けているというので、ここに援助した。「これで3ヶ月は持つ。ありがとう」カメラの前でムサンナが礼を言ってくれる。
今回は「イブラヒーム募金」として多くの方々からカンパをいただいた。イブラヒームの手術は成功し、彼の右目はなんとか失明せずに済んだ。実は彼はさらなる手術が必要なので、ドイツへ飛んで行った。だから今回、イブラヒームを撮影することはできなかった。ツイッターで、後日、彼の手術後の写真をアップする予定。
何はともあれ、募金いただいた皆さん、ブログを読んでいただいている皆さん、ありがとうございました。

5月16日シャンリフルファの「ブナン・ソサエティー」へ。ここに約50名の戦争で傷ついたシリア難民が共同生活をしていて、日曜日をのぞく週6日、約1500名のシリア難民に給食サービスを展開している。トルコ政府、国連からの援助はなく、すべて近隣住民、亡命シリア人、その他人道支援者からの募金で運営されている。小さいながらもリハビリ施設があって、手足を切断した人や、背中に銃弾を受けて下半身付随の人たちが、懸命にリハビリに励んでいる。責任者Drムサンナが施設を案内してくれる。
顔にひどい火傷を負った若者がいる。自宅にアサド軍の戦車砲が飛び込んで大火事になった。戦車砲にもいろいろあって、家を焼き尽くすタイプのものだろうか?気を失った彼が病院のベッドで目を覚ました時、唇は癒着して口が開かなかった。両目は手術でぼんやりと見えるようになってきたが、まだ左目はまぶたがなく、インタビュー中にも涙が滴り落ちてくる。痛み止めの薬もないので、毎日を耐え忍びながら、ここで座って1日を過ごす。むごいことだ。
私のビデオカメラは顔認証が付いているので、ビデオ撮影しながら自動的に写真を撮っていくのだが、彼の写真は撮影されなかった。カメラが彼を「顔として認識しなかった」のだ。なんということ。
「ホンダ、ヤマハ」。私が日本人だとわかって陽気に声をかけてくれるおじさんがいる。足を失う前はバイクが大好きで、よくバイクで釣りに行っていたとのこと。彼の両足は切断され、左肩も重傷で腕を伸ばせば、明らかに左手が短くなっている。アサド軍のロケット弾の直撃を受けた。普通の市民で通りをただ歩いていただけだったのに。
義足を持ち上げてみるとかなり重い。日本ならもう少し軽くて実用的なものがあるのではないだろうか?
さてシャンリウルファの取材も明日で終わりだ。明日は支援物資を配布する。


5月15日、早朝より車をチャーターしてシャンリウルファを目指す。国道400号を東へ。トルコは高速道路網がしっかりしているので快調に飛ばす。
ユーフラテス川を越える。この川の下流にはISの首都ラッカがあり、今も戦闘が続くイラクのファルージャへとつながる。
スルチという町への別れに到着。スルチの小高い丘を越えれば、そこはコバニ。ISとの激戦をクルド軍が制して、いまはペシュメルガ(クルド軍)が押さえている。かつてはこの高速道路から黒煙が見えたという。
2時間でシャンリウルファに到着。もともと人口60万人の町が、シリア難民40万人以上の流入で、あちこちに新築ビルが建設中だ。この町は単にウルファと呼ばれている。第一次大戦後、フランスに占領された町を、市民が蜂起して独立を勝ち取った際に、勇敢な市民に対して「シャンリ」と讃えられたので、シャンリウルファとなった。この点はガジアンテップと共通する。
シャンリウルファの歴史は古く、紀元前2千年頃から栄えたと言われ、2世紀にはキリスト教の町として、さらに11世紀には十字軍の拠点都市となった。「元祖キリスト教」の町だが、住民のほとんどはイスラム教徒である。
ハヤーティ・ハーディン地区へ。倉庫や空き店舗が並んでいるが、これらは全て難民たちの住居になっている。10数キロも行けばシリア、それもIS支配のデリゾールやラッカに近く、難民たちはまずはこの町にやってくる。
アリーくん(10)は1年前にここに逃げてきた。早朝4時から夕方6時まで、ゴミを拾う毎日。日曜日だけお休みなので、たまたまここで出会えた。「学校に行きたい?」と尋ねると、首を振る。「お母さんを助けないとダメなので、働かないと」。1日ゴミを拾って、わずか10トルコリラ(約300円)。しかしこれが唯一の収入なのだ。10才の子どもの両手は黒ずみ、何を聞いても笑わない。
シャンリウルファで耳をすますと、戦闘機の音が聞こえる。米軍、トルコ軍がIS支配地域を空爆しているのだ。空爆への対抗としてISは、またどこかでテロを起こすだろう。デリゾールやラッカの人々は、ISの恐怖政治と米軍、トルコ軍の空爆から逃れるために、この町に逃げてくるだろう。アリーくんのような少年がますます増えていく。北風と太陽。人々はいつまで北風に耐えることができるのだろうか?

リムさん(12)、イスマイルくん(10)のきょうだいに出会った時、私は息を飲んだ。眉毛がなく、顔面が引きつり、唇がめくれ上がっている。顔面に大やけどを負ったことが一目でわかる。
2015年2月、アレッポ北部はアサド軍の総攻撃を受けていた。自由シリア軍の兵士だった父親はすでに戦闘で死亡していた。家には母ときょうだいが残っていた。アサド軍のヘリコプターがやってきた。ドーンという爆音とともにドラム缶が落ちてきた。タル爆弾に詰められたガソリンが爆発、家の中は猛烈な炎に包まれた。リムさんの記憶はここで途切れている。外では駆けつけた親族が必死で鉄の門扉をこじ開けようとしていた。アレッポ北部では、ISやアサド軍の襲撃が続いていた。だから万一の時に備えて頑丈な門扉に取り替えていた。逆にそれが仇となった。なかなか門扉が開かないのだ。5分、10分が経過、親族にとっては長すぎる時間だった。ようやく門扉が開き、炎に包まれたきょうだいが救出された。すぐにトルコ・アナダンの「やけど専門救急病院」に搬送された。1ヶ月後、リムさんが目覚めた時、彼女の顔面は焼けただれ、喉には気管切開で大きな穴が空いていた。
一緒に家にいた母と2人の叔父はすでに死亡していた。
孤児になったきょうだいは、アダナの病院からガジアンテップの大学病院に搬送された。数回の手術の後、叔父の借りているアパートにやってきた。
「右耳は焼けてなくなったの。目は見えるけど、まだ手術が必要だと言われたわ」。リムさんは喉の穴に指を置いて喋ってくれる。そうしないと息が漏れて言葉にならないのだ。アサド軍は「アレッポ北部にISがいるので空爆して掃討した」と発表している。実際は自由シリア軍が押さえている地域で、空爆されたのは普通の市民、子どもたちだ。民家へのタル爆弾投下は戦争犯罪であり虐殺である。こんなことが許されていいのだろうか。
アサドはロシアのプーチンに守られて今のところ安泰だ。しかし人々の間に「虐殺の記憶」は残る。彼女のやけどが何よりの証拠。戦争は人を狂わせる。そうならないように外交で解決するのが大統領の仕事だったはず。アサドは世襲で政権を受け継いだ。日本や北朝鮮もそうだが、「権力が世襲で受け継がれる」ことの危うさを感じる。人の痛み、嘆き悲しみを知らない権力者が一番危険だ。リムさんを取材して、絶対にアサドを許してはならないと、改めて感じた。

5月14日午前10時、ガジアンテップ郊外の団地に住むレンダ・ハムーイさん(35)宅へ。レンダさんはダマスカス郊外のゴータ地区に住んでいた。ゴーダ地区はアサド政府軍が毒ガスを使って1000人以上を虐殺した街として有名になった。2013年8月21日のこと。毒ガスを吸って苦しんでいる子どもの姿がテレビで何度も流れたので、覚えている人も多いだろう。
アサド軍はゴータ地区の住民を「全て浄化」したかったと思われる。毒ガス攻撃の翌年、戦車隊が地区に入ってきた。
近隣の家に戦車砲が命中した。轟音とともに煙が上がる。その時ラナさん(15)とアディブくん(10)は何が起きたのか確認したかった。きょうだいがバルコニーに出て、戦車砲が命中した家を眺めていた時だった。別の戦車砲がきょうだいめがけて飛んできた。
気がついた時は病院のベッドの上だった。ラナさんの両足と左手は切断されていた。アディブくんの右足も膝から下がなくなっていた。ダマスカスの病院で一ヶ月過ごし、その後ガジアンテップに逃げてきた。ここの病院で半年間治療を受け、松葉杖と義手をもらった。ラナさんは母(レンダさん)の介護を受けて中学校に通う。アディブくんは自力で小学校に行く。
「両足と左手を失うまでは、お医者さんになりたかった。今はITエンジニアを目指しているの」。自分では移動できないので、医者を諦め、座ってできる仕事に夢を託す。アディブくんにも同じ質問。「以前はパイロットになりたかった。今は探偵になりたいよ」。こちらでは「未来探偵コナン」の漫画が流行っていて、その影響のようだ。自分では動けないので、普段はどうして過ごしているのか、尋ねてみた。「絵を描いているの。色鉛筆で友達とか漫画の主人公とか」。ラナさんの描いた絵を見せてもらう。片足の少女が描かれている。自分自身を描いたの?と尋ねたら、「違うよ。友達も片足になったの」。
父親はすでにこの戦争で殺されている。自身も重症を負っているが、質問には前を向いてキッパリと答えてくれるラナさん。悲しみを封印して母に負担をかけないようにしているようだ。「写真、撮ってもいいかな?「ダメ。話をするのはいいけど、写真だけは絶対にイヤ」。彼女のプライドが許さないのだろう。写真はないが、彼女の描いた絵とキッパリとした受け答えを文字にすることで、少女の悲しみと将来への決意がみなさんに伝わることを願う。

5月13日、仏テロから今日で半年が経過した。パリで起きたテロは、ここガジアンテップに逃げてきたシリア難民にとってかなりの悪影響を及ぼしている。あのテロ後、仏、露の空爆が激しくなり、トルコへ逃げてくる難民が急増。これ以上の難民受け入れを拒むトルコもまた、国境に壁を作り、シリア人をシャットアウトしている。さらにあのテロ後、「移民&難民排斥の運動」がヨーロッパ各地で起こっていて、シリア難民にとって大変厳しい状況が続いている。
午前10時、ガジアンテップ旧市街、チャーシャ地区へ。チャーシャというのは「イランの」という意味で、この周辺はイラン人経営の店が多いとのこと。
そんな街の片隅に5階建ての古びたビル。鉄の門扉をあけて階段を上る。
「アルハムザ」という名前のNGOがこのビルを借りていて、ここにシリア難民合計36家族が住む。いずれも昨日今日逃げてきた人ばかり。アレッポやホムスから逃げてきた人々は、人づてにこのNGOを知り、ここにやってきて仮の住まいを始める。賃貸料無料なので、ここでひとまず落ち着いた後、仕事や住居を探すのだそうだ。このビルに住む家族を取材。デリゾールから逃げてきた人々が多かった。ISに支配されたデリゾールでは、ISとアサド軍の交戦が続き、住民はその両方から殺される。シリア停戦後も「ISとアルカイダ系のヌスラ戦線だけは空爆しても良い」となっているので、米仏露などの空爆もある。住民にとっては踏んだり蹴ったりの状態で、ISの隙を見て、決死の脱出を図ってきた人々だ。当然、脱出中にISに発見されれば公開処刑。街の広場で吊るされてしまう。タリバンもISも同じことをする。公開処刑によって恐怖心を植え付け、住民の反乱を押さえつけているのだ。
アルハムザで一通り取材したのち、「コースクザ」という「私設小学校」へ。「コースクザ」とは虹という意味。子どもたちの将来に虹がかかればいいのだが。
ここには約60名の子どもがやってきて、音楽やアラビア語などを学んでいる。難民はトルコの学校にはすぐに入れないので、このような施設が重要である。シリアでの爆撃や両親を失うという体験をしているので、メンタリティーを保つためにも音楽や絵を描くことなどが重要。抱えたトラウマを何とかして和らげていかないと、子どもたちが壊れてしまう。
60人の子どもたちのほとんどが、父親か母親、もしくは双方をなくしている。父親だけがドイツに行って、ここに残された子どももいる。アラビア語の歌詞カードを持って、元気にシリアの歌を歌ってくれた。こうすることで心が癒されるし、アラビア語の文字を覚えることができる。ただ地元の小学校はトルコ語で授業をするし、買い物など日常生活でアラビア語が通じないところも多いので、トルコ語の勉強も必要だ。この「私設小学校」があるからといって、子どもたちにとって厳しい状況に変わりはない。
さて、ガジアンテップでの取材もゴールが見えてきた。新築マンションが立ち並び、大型ショッピングモールで楽しそうに買い物をする人々がいる。一方、廃屋や使われていない倉庫などにひっそりと暮らす難民たちがいる。戦争は貧困と障がい者の急増と格差拡大をもたらす。そんな「戦争のリアル」を伝えていくことで「戦争法廃止」につながっていけばいいなと思う。

5月12日午前10時、まずはガジアンテップの新市街地ホーシクール地区へ。地区の中心が広場になっていて、この広場から放射線状に路地が伸びている。すべての路地が上り坂。つまり町の底の部分が広場になっていて、住居は登り道に沿って連なっている。なだらかな坂道を上っていく。すれ違う住民はほとんどがシリア難民。彼ら同士でアラビア語を喋っているし、女性が黒いアバヤを着ているので、すぐにわかる。そんなダラダラ坂の中腹に目指す家があった。
鉄の門扉を開けて中へ入る。撮影の許可が下りて、カメラを回す、ますはご主人に挨拶。「よー来てくれた。さー、中へ」。なんとなくこんな感じのことをアラビア語でしゃべってくれて、客間へ。しばし雑談ののち、彼女が入ってきた。
アヤ・スードラさん(12)は、女の子が女性へとはばたく、ちょうどその時期を生きている。(シリアの子どもは成長が早い)美しい彼女の頬に傷が刻まれ、左目は失明している。10ヶ月前、シリア中部の町パルミラで、アサド軍は猛烈な空爆を仕掛けていた。当時パルミラは「イスラム国」の支配下にあったが、アサド軍が総攻撃を仕掛けて、取り戻す最中だった。彼女は家にいて、周囲が破壊されていくので、おばさんの家に逃げ込んだ。しかしアサド軍のミサイルは周辺の人家に容赦なく降り注ぎ、おばさんの家にも命中。母と姉が亡くなった。スードラの右顔面にミサイルの破片が飛び込み、気を失った。隣にいた弟のハムザくん(8)は左半身に大やけどを負った。
2人はパルミラから「イスラム国」の首都ラッカの病院に移された。本当はトルコに逃げたかったのだが、当時パルミラは「イスラム国」に支配されていたので、ラッカの病院に移されたのだ。ラッカの病院から退院して、5ヶ月前に家族と一緒にトルコに逃げてきた。「イスラム国」に見つかれば殺されてしまう。決死の逃避行だった。
スードラさん宅を後に、ディバ地区のハッサンさん(24)宅を訪れた。2年前のアレッポ。アサド軍の空爆でけが人が出た。たまたま車で通りかかったハッサンさんはけが人を車に乗せ、病院までアクセルを踏んだ。アサド軍の飛行機が見えた。飛行機からのミサイルが、道路脇のビルに命中した。ビルの破片が車めがけて猛スピードで飛んでくる。ハッサンさんの記憶はそこで途切れる。気がつけばガジアンテップの病院だった。ビルの破片が彼の背中に突き刺さり、彼は下半身不随、両腕もただ上下に動かせるのみ。スプーンも握れず、何をするにも介護が必要だ。彼にはフィアンセがいて、空爆された1週間後に結婚式の予定だった。許婚はトルコのガジアンテップへ、そして危篤。アレッポに残ったフィアンセは連絡先を告げずに去っていった。
彼の気持ちも、フィアンセの気持ちも痛いほどわかる。たった一発のミサイルが人々を不幸のどん底に叩き落とす。
傍で母親がインタビューを聞いている、カメラを向ける。
「この1年半、私はこの子を励ましてきました。『死にたい』と叫ぶ時は、背中をさすってやりました。テレビをつけて気分を紛らわせ、時にはコーランを読んで、生きる希望を与えました。この子の顔に毛布がかぶさった時は、毛布をよけてあげました。この1年半、私たちはここでひっそりと地獄の日々を送ってきたのです」。
民家の上にミサイルやタル爆弾を落とすこと、つまり空爆についてあらためて考えさせられる。確かにアサド軍だけが人殺しをしているのではない。反政府側も「イスラム国」など過激派原理主義者の側も、銃撃戦などでたくさんの人を殺害してきた。しかし空爆は「殺害する人数、不幸にたたき落とす家族の数」を圧倒的に高めていく。米露仏英などの空爆も同様。「空爆する側こそテロリスト」なのではないか。ハッサンさんのような事例は、今後もあまり報道されないだろう。現地の事例を掘り起こしていくことが必要だと痛感する。

2016年5月10日、無事トルコ南部ガジアンテップに到着。通訳のムスタファが空港まで迎えに来てくれている。実はガジアンテップ空港では一抹の不安があった。それはトルコ秘密警察。昨年、ガジアンテップに降り立った時に、警官が近づいてきて、「どこに行く?何をしに来た」としつこく尋問された。トルコ側からすれば、「外国人の安全確保」なのかもしれないが、下手をすればイスタンブールに送り返す、かのような対応だった。今回、そんな警官の尋問はなし。普通に空港を出る。
ガジアンテップはかなり大きな都市で、街の中心にお城がそびえている。ガジアンテップ城は、この街の人々の誇り。
それはこの街の名前にも表れている。第一次世界大戦でオスマントルコはドイツと組んで敗北する。敗戦後、この街を占領したのがフランス。ケマルアタチェルクの呼びかけに呼応して、市民は対フランス独立戦争に立ち上がる。壮絶な市街戦の末、市民はフランス軍を追い出して独立を勝ち取った。もともとこの街はアンテップという名前だったが、ガジ(戦士)の街として讃えられたので、ガジアンテップとなった。市民蜂起の中心となった場所がお城なのであった。
11日、ガジアンテップの新市街ガジケーンを訪問する。灰色の団地群に雑貨屋さん、携帯電話ショップなどが並ぶ、普通の街並み。そんな団地の一角に入り込む。周囲の団地と違って、ここだけが「スラム風」。団地の一階は、かつて商店だったが、その跡地にシリア難民が居住している。古びたシャッターに数多くの洗濯物。団地のあちこちに所在なさげに大人たちが談笑する。その周囲では子どもたちが遊んでいる。「ここには200家族を超える難民が住んでいる」。通訳ムスタファの説明を受けながら、何家族かインタビュー。アブドラ・ファミールさん(45)はアレッポの出身。2年半前にここに逃げてきた。アサド政府軍と自由シリア軍の戦闘が激しくなり、自宅にも流れ弾が飛び込んでくるようになった。ロケット弾攻撃や空爆も際限なく続く。妻と5人の娘、2人の息子の9人家族。子どもは学校に行っておらず、このままだとアラビア語もトルコ語も読めないし書けない。逃げてきてすぐに赤十字に登録して学校に行けるように申請したが、その後連絡はなく、そのままの状態である。
家賃は月に300リラ(約1万1千円)。それとは別に200リラの光熱水費が必要。今は2人の娘の内職で食いつないでいるが、難民であるアブドラさんが就職するのは大変難しい。
団地の十字路でシシトウを刻んでいるおばさんがいる。アニーサさん(50)もアレッポから逃げてきた。夫は3ヶ月前に空爆で殺された。トマトとシシトウをここで調理して、難民たちと分け合って食べている。このトマトとシシトウは、近所のレストランの食べ残し。その他スーパーで賞味期限切れの物をもらってくる。シシトウを刻みながら、この数年間で激変した自分の人生について語ってくれるアニーサさん。夫も家も失ったアニーサさんであるが、なんとか踏ん張って生きている。前向きな姿に感銘する。
さて、本日(12日)もガジアンテップで難民取材。では行ってきます。

超弩級のスキャンダルが炸裂した。パナマ文書である。パナマの法律事務所モサックフォンセカが取り扱った租税回避、つまりタックスヘイブンに逃げ込んだ世界の富裕層、大企業、マネーロンダリングの実像が、膨大な文書としてリークされたのだ。今後、手分けして膨大な資料が読み込まれ、実像が鮮明になってくると思うが、3年前に赤旗がすっぱ抜いた記事によるとケイマン諸島に逃げ込んだ日本の投資残高が約55兆円。日刊ゲンダイは昨年にはそれが61兆円になった、としている。
ちなみに2014年度、日本の歳入は所得税が15兆円弱で、消費税は15兆円強、法人税が約10兆円で、歳入合計は54兆6323億円。これは何を意味するか?
日本企業、富裕層がタックスヘイブンに資産を移さずに、まともに日本で税金を支払っていれば、例えば2014年度の法人税率が35%強だったので、約21兆円強の税収があったことになる。これはどういうことか?
消費税がなくても、今以上の社会福祉、教育、年金が実現したということだ。さらに言うならば、消費税がないことで購買力が高まり、景気も上向いたことだろう。政府は「8%では足らない、10%にしないと財政が持たない。低所得者層のために軽減税率(今の8%より軽減していないので、この言葉は詐欺だが)を導入する」と言う。例えば「マクドナルドで食べたら10%だが、持って帰れば8%」などと、さも「庶民に気を使っている」かのようなふりをしている。これらは全て大ウソだということになる。そもそも税金というのは富の再配分なので、所得の高い層、円安で巨額の利潤を得た大企業から取るべきであって、そこへの税逃れを見逃してきたから、社会に閉塞感が漂っているのである。今回のパナマ文書には、ロシアのプーチン、中国の習近平、英国のキャメロンなど、新旧12名の各国首脳の名前が出てきている。さらに報道では、米国CIA関係者やイランコントラ事件で名前の挙がった人々、サウジアラビアやコロンビア、ルワンダの要人の名前まで上がっているらしい。サウジアラビアは世界一の武器輸入国である。サウジの石油と欧米の軍産複合体の武器が交換される。多額のリベートがサウジの王族などに入る。そんな「汚れた金」を洗浄するためにもタックスヘイブンが使われる。コロンビアは麻薬だろう。ルワンダはものすごい内戦があった。こちらも武器なのか…。今回のパナマ文書にシリアのアサド大統領の名前もあった。このブログでも紹介してきたようにシリア内戦で凄まじい量のロケット弾、ミサイル、自動小銃、戦闘機などが使われている。「人殺しのために使われた金」がアサドの親族を通じて洗浄されたのだろうか?シリア内戦で手足を奪われた人々、失明させられた市民、親を失った孤児たち、夫を奪われ女手一つで子育てしている女性たちをたくさん見てきた。アサドは自国民をヘル(地獄)に陥れながら、自分はヘイブン(天国)にいたわけだ。これはロシアのプーチンにも言える。彼はシリアの一般市民を「テロリストの疑いがある」と無慈悲に空爆してきた張本人だ。
タックスヘイブンに逃げ込んだ世界の富裕層の資産は約3000兆円といわれる。世界がこの「汚くて、理不尽で、反社会的な」租税回避を罰しなければ、いずれこの金はもう一つ上の単位になる。兆の上?それは京である。コンピュータでしか聞かないような、想像を絶する単位の資産が、不正に隠されていく社会。日本政府はパナマ文書について、早々に「追求もしないし、調査もしない」と断言している。アホか!欧州は調査を始める。隠すのはロシアと中国。日本は「中国、ロシア型の情報非開示国家」に成り下がっているのだ。日本をここまでダメにした安倍政権を一刻も早く葬りさらねばならない。

11月23日、今日はスレマニ郊外のペシュメルガ訓練基地へ行く。広大な山裾にトレーニング用の運動場と兵舎。まずは司令官のアミールさんにインタビュー。この基地に約300名の兵士がいて、IS支配地域への地上戦を想定して、訓練をしている。教官はクルド人だけでなく、アメリカ、オーソトラリア、ニュージーランド、デンマーク、イタリアなどから退役兵士がやってきて訓練に当たっている。武器は主にドイツとイタリアから。フランスやイギリス、アメリカの武器もあるが、米英仏は空爆してくれているので、地上戦の武器は(空爆していない)ドイツ、イタリアからのものが多い。
一通りインタビューをして、訓練場へ。
広大なグランドに兵士のグループが数カ所。まずは地雷、IED(路肩爆弾)撤去処理班の訓練を取材。兵士が金属探知機で慎重に地面を探り、雑草を刈り取っていく。雑草に隠れて爆弾が仕掛けられているので、まずは地面が見えるようにすること。10センチ、20センチと、センチ単位で前進する。兵士は防弾チョッキにヘルメット。ちなみにこの金属探知機はドイツ製だ。教官はニュージーランド人とオーストラリア人。退役軍人である。民間軍事会社の社員と思われる。
次にブービトラップ除去班へ。家に見立てた建物の中にどうやって侵入するか。家の中に箪笥があって、その箪笥の扉を開ければ爆発物が作動するようになっている。兵士は慎重にその箪笥にカギ付きの紐をくくりつけ、離れたところから紐を引っ張って爆発させる仕組みだ。
コカコーラの缶が置いてある。拾って持ち上げると爆発する。家に見立てた壁のところにロシア製の地雷が置いてある。地雷からは細いビニール紐が伸びていて、その紐が雑草で隠れている。兵士がその紐を足で引っ掛けてしまうと、地雷が爆発する仕組みだ。兵士は慎重に紐に近づき、長いアルミのしなやかな棒で、ビニール紐を取り外す。
家の扉がある。扉を開けると爆発するので、大きな三脚に30キロの重りをつけて、数十メートル離れたところからロープを引っ張り、重りで扉を破壊する。その後、兵士が家の中に侵入する。
以上のような訓練を繰り返していた。実際、モスルやラッカなど、IS支配地域では、このようなブービートラップが多々あって、ペシュメルガ兵士がたくさん犠牲になった。指導教官の米兵やオーストラリア兵は死なないが、実際に路肩爆弾で吹き飛ばされるのはイラク人(ペシャメルガ)で、首尾よく家に侵入した後、ISと疑われ、自動小銃で射殺されるのもイラク人(IS支配下の一般市民)だ。そして空爆しているロシア兵、フランス兵も(ISは高高度まで届く対空砲を持っていないので)殺されない。そして武器だけが消費されていく。
ロシア旅客機の爆破と仏のテロ後、猛烈な空爆が繰り返されている。おそらく短期的にはISは追いつめられる。ペシュメルガがイラク北部の都市を取り戻していく日も近いだろう。しかしそれでテロはなくなるか?ISはペシュメルガの背後に米英露仏がいることを知っている。追い詰めれば追い詰めるほど、欧米の都市でテロの危険が高まる。空爆とテロの繰り返し。私には、これは武器と石油支配をめぐる「壮大なゲーム」のように感じる。この繰り返しでは人が殺されるだけだ。
平和外交と地域住民の平和的蜂起。武器の流入の遮断。そして暫定政府の設立と民主的な選挙。こうした道筋を通らないと、この地域は安定しないと思う。

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