アンマン、自爆テロ現場から

今日(11月21日)はアンマンの「ヨルダン病院」を訪問した。雨の中、(アンマンは寒い!)病院の受付で取材依頼。エントランスには花束を抱えた小学生の一団が。自爆テロ被害者のお見舞いにやって来ている。その小学生の一団と一緒に、患者の部屋へ。一人の女性がベッドで眠っている。彼女を撮影したかったが、彼女本人へのインタビュー許可は下りなかった。爆発のショックで精神的に不安定で、親族以外の誰ともしゃべることのできない状態であるという。
ベッドのそばで心配そうに立っている男性が、彼女の弟、サーミー(34歳)。彼は結婚式に10分遅れで参加した。急いでホテルに向かっているときに大爆発が起こった。新郎新婦は彼の親族で、18人が殺され、25人が傷ついた。まだ6人が入院している。新郎新婦は生きているが、新郎の両親は死んでしまった。自爆テロリストは、イラクから来た夫婦。一人(妻)は自爆に失敗して生き残っている。
ベッドに眠っているサーミーの姉(40歳)の状況について、かかりつけの医師に聞いた。
自爆テロ直後の様子は?
約60人が運ばれてきた。この病院だけでは手当てできない数なので、他の病院へ回された患者もいる。60人は生きている、死んでいるにかかわらず運ばれてきた。何体かは人間の原型をとどめず、ピース(人体の一部)となってやってきた。バラバラになって頭がない遺体もあった。運ばれてきたときはもうすでに危篤状態で、2人が治療の甲斐なく死んだ。逆に助かって帰宅できた人もいる。サーミーの姉のケースは、首に刺さった爆発の破片が脳に回ってしまった。彼女は左半身不随だ。今はしゃべれない。心の傷でしゃべりたくないようだ。ショックが大きすぎる。私は当日だけで10回の手術をした。13分以内に他の病院からも医療スタッフが集まった。病院の施設も良くて、医師の技術も高かった。
テロリストについてどう感じているか?
全ての人が無実だ。結婚式という幸せの絶頂から地獄に落とされた。人間性のかけらもない。どうして無実の人を狙うのか…。

病院を後にするとき、女子高校生の一団が花束と国旗を持って見舞いに来ていた。先週、アンマンでは約50万人もの人々が、「テロを許すな」というデモをしたそうだ。ザルカウィはそのアンマン出身者である。「アメリカを許さない」という人は、ここアンマンでも多数派だ。人々はイラクやパレスティナにシンパシーを感じている。しかし無差別に人々を殺戮するアルカイダなどのテロリストも許してはならないのは当然である。

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このページは、nishitaniが2005年11月22日 12:44に書いたブログ記事です。

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