被爆アオギリ

結論から言うと、私は今回の中東訪問で、イラク入国を果たすことはできなかった。「外務省の壁」を感じた旅であったが、バグダッド空港まで入った事は収穫だった。そのあたりをやはり毎日新聞に書いたので、まずその記事を紹介したい。

今回の旅で私が最も訪れたかった街は、イラク南部の都市バスラとサマワだった。バスラは湾岸戦争、そして今回のイラク戦争と2度にわたって大量の劣化ウラン弾が使われたところ。ウラニウムの残存放射線や化学毒性によると思われるがん患者であふれる街である。私には「バスラに原爆アオギリを植樹する」という夢がある。原爆投下で焼け野原になったヒロシマ。そんな中で、けなげにも生き残った原爆アオギリの苗木を、バスラに植樹する。そのアオギリを中心に平和公園を作り、2度と戦争を起こさないという誓いの碑を建てる…。イラクと日本、ともにアメリカの空爆で攻撃され、ヒバクシャが苦しんでいる、そんな両国の「平和の架け橋」を作りたいのだ。こうした「平和メッセージ」をバスラの有力者に送ったところ、「大歓迎する」というメッセージが返ってきて、彼らがバスラ空港で私を待ってくれることになった。彼らと一緒なら私の安全度も飛躍的にアップする。これはもう何としてもバスラ入りしなければならない。
アンマンの空港でバグダッド便に乗り込む。バグダッドでバスラ便に乗り継げば入国できる。期待と恐怖が入り混じった興奮を、森山直太朗の「さくら」で落ち着かせる。iPODは一人旅には必需品だ。眼下には広大な砂漠。やがてユーフラテスの大河が現れる。砂漠を貫く大河の周囲だけが緑色。そして人間の住む街が大河にへばりつく。ここはメソポタミア文明発祥の地。
「ファルージャだ」通訳のハリルがつぶやく。「見ろ、人も車も通っていない。壊滅状態だ」。
灰色の街…アメリカの集中攻撃によって、虐殺され、焼き尽くされたファルージャをカメラに収める。
飛行機はバグダッド空港を旋回する。普通に着陸すれば武装勢力のミサイル攻撃にあうので、上空から「きりもみ着陸」するのだ。1回、2回…合計7回回転した。回転しながら外の景色を撮影する。空港とアブグレイブ刑務所の中間点あたりで煙がもうもうと上がっている。「自爆だな」とハリル。
空港の一階ロビー。「かばんの中を見せろ」とアジア系の兵士。「中国人か?」と聞いてきたので「日本人だ」と答えると、「俺はネパールから来た」と言う。彼は「民間軍事会社」に雇われた傭兵である。バグダッド空港は危険で、あまりにも米兵が殺されていくため、このような「金で雇った兵隊」が守っている。
バスラへの乗り継ぎ便カウンターの手前で、イラク政府役人が立ちはだかった。「日本人はイラクに入らせない」と言う。「なぜだ?」「日本政府からの命令だ」「俺たちはバスラに行く。バスラでは有力者が待っている。ほら、招待状もある」。ハリルと私が猛抗議している間に「ドッカーン」という爆発音。後で聞いたらこの日には空港周辺で2回爆発があり、14人が殺されたという。こんな事が連日続くイラクであるが、日本ではニュースにすらならない。
イラク政府役人と私たちの交渉は続く。彼は何度も「エクセプトジャパン」(日本だけが例外だ)を繰り返す。カナダやドイツのジャーナリストたちが入国していくのを横目に、「日本だけが例外」という厳しい現実に直面。外務省のいう「邦人保護」のため、結局私はパスポートを取り上げられ、アンマンへ「強制送還」されてしまった。確かに今のイラクは危険だ。それこそ「自己責任」で行かねばならない。しかし日本政府がここまでして日本人の入国を阻止する目的は?それは「本当のサマワ」を見られるのがいやなのではないのか、とついかんぐってしまうのだ。

で、広島市からアオギリの苗木を受け取ることになった。秋葉市長が熱心な核廃絶論者で平和主義者なので、ぜひ市長のメッセージを添えて、バスラとサマワに植えたいと思う。「軍隊ではない人道支援」の象徴として。

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このページは、nishitaniが2006年1月 4日 11:59に書いたブログ記事です。

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