岩国の住民投票

岩国へ行ってきた。米軍基地の拡張に賛成か、反対かを決定する住民投票を取材するためだ。3月12日に行われる住民投票は、全国注視のもとに行われる。
市長発議の住民投票であるが、投票率が5割を超えなければ、開票すらされずに票は焼却されてしまう。賛成派はボイコット運動を繰り広げ、反対派と市は一生懸命投票を呼びかけている。そんな中の1泊2日ルポだ。

3月8日、新幹線を降りてバスに乗る。運転手が話し好きのおじさん。「住民投票?どうでしょうかね。投票率50%行かないのでは?岩国は面積が広いからね。基地周辺の地域は大変でしょうが、錦帯橋のあたりは騒音もなく静かなところ。多くの市民は関心ないんじゃないですか」。
運転手さんが言うように、街は静かだ。投票日を4日後に控えているというのに、派手な看板やノボリは影をひそめている。8年前沖縄県名護市で、同じように米軍ヘリ基地に対して住民投票が行われた時は、街のあちこちに反対派、賛成派の派手な看板が並んでいたのだが…。
川下地区という基地と共存してきた街を歩く。米兵相手のロシア人バー、フィリピンパブなどがある。看板は英語で、Yナンバーの車。ここは「ミニ沖縄」の様相。クリーニング屋さんや八百屋さんに聞いて回る。
「昔は米兵が下着を出してくれたり、背広をクリーニングしたり、繁盛したときもあった。今はダメだね。全部基地の中でできるもの。フィリピンパブ?あそこも苦しいよ。最近の米兵は、広島まで遊びに行くからね。地元には金は落ちない」。
昼は喫茶店、夜はバーになる店がある。マスターに聞く。
「私のところにもほとんど米兵は来ないよ。地元の人間ばかり。50%?ぎりぎり行くのではないかな?この街で生まれ育ったから基地があるのは当たり前だと思っているよ。昔はにぎやかだったね。米兵相手のコールガールが川筋に立って客引きをしていたよ。親父からは『あっちへ行くな』と注意されていたね。ここは広島から流れてきた被爆者が多い。
『あと少ししか生きられないから』と米兵相手の商売に精を出していたんだ。岩国市役所に売店があっただろ?あそこは昔の保健所だ。性病の検査をしていたんだよ」
拡張予定の基地へ。広大な敷地。海を埋め立ててさらに新滑走路が建設されている。神奈川県厚木基地から艦載機がやってくると、ここは沖縄の嘉手納を上回り、東洋一の基地となる。
「10年前にだまされたのさ。騒音被害の軽減、と基地の海上移設工事にOKしたんだ。それで海上に新滑走路が。でも今回の基地強化で、既存の滑走路は撤去せずそのまま使うだろう。つまり『移設』ではなく『増設』だ。米兵が増えると犯罪が心配。私たちは『無賃乗車』に悩まされているんだよ」。基地まで案内してくれたタクシー運転手が嘆く。米兵がタクシーを利用し、降りる際、「金を取ってくる」と基地の中に入って出てこない、という「無賃乗車」が多い。下手に抗議すると危ないので、そんな時は泣き寝入りである。
夜は「岩国の未来を考える」シンポジウムへ。井原市長が来ていたのでインタビューする。
「市にとって非常に難しい問題。こんな時は住民に直接意見を聞こうと思った。それで住民投票を実施した。市民の声を国に伝えようと思う。賛成の人も反対の人もどうか投票に行ってほしい」。
余談であるが、わが町吹田市では市民発議の住民投票に取り組んでいる。梅田貨物駅の吹田移転の問題だ。吹田市長は国や府の圧力に屈して早々に「勝手に調印」してしまったが、こちらでは安部官房長官(地元)や額賀防衛庁長官、山崎拓元副総理などがよってたかって「圧力」をかけているにもかかわらず、市長発議で住民投票実施である。圧力に負けず「スジを通した」市長に拍手を送りたい。
さて、これを書いている本日(10日)現在、住民投票での結論は出ていない。50%は高いハードルである。しかし岩国市民の中で変化が生じ始めているという。それは今までタブーであった基地の論議。安保があるから仕方がない。国が決めたことには逆らえない。それよりおとなしく受け入れて、お金、つまり「地域振興策」で街を活性化しよう、などという意識から、「ダメなものはダメ」「お金では買えないものがある」「自立した街にしたい」などの意識が芽生え始めているのだ。12日はなんとしても50%の壁を超えて、きっぱり基地拡張反対の意思を示してほしい。
大事なことがある。それはこの岩国基地から米兵がイラクへ飛び立つということだ。今までは「基地の存在を受忍するか否か」という議論が主だった。今後はそれだけではなく「戦争という人殺しに協力するのか否か」というところまで話し合ってほしい。これは岩国や沖縄の人だけに求めるのではない。私たち全てに問いかけられた問題なのだ。

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このページは、nishitaniが2006年3月10日 11:45に書いたブログ記事です。

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