飛んでイスタンブール

本日9日は、今回の旅の中でおそらくもっとも長い一日となった。何しろ早朝、というか深夜2時に起床。車をぶっ飛ばしてアンマンの空港着が3時。そこから出国手続きを経て、イスタンブール着が朝の7時。さすがに疲れたので2時間ほど仮眠を取ってからハリルと市内観光へ。
イスタンブールを東西2つに分けているのが「ボスフォロス海峡」で、東側がアジア、西側はヨーロッパである。このボスフォロス海峡には何本か橋がかかっていて、そこを通過する際に「ここでアジアとヨーロッパが分かれているのか」と感動を覚えるのであるが、現地の人々は、その橋の上からのんびりと釣り糸を垂らしている。イスタンブールは「海の街」なのだ。
オスマントルコの首都として栄えたこの都は歴史の街でもある。旧市街にひときわ大きくそびえるのが「アヤソフィアモスク」。ここはかつてキリスト教の教会であったが、イスラムがここを攻め落とし、その後「青のモスク」として栄華を誇ったということだ。
中へ入ると、その大きさと天井の高さに圧倒される。小学校の遠足で奈良の大仏様を見て、「昔の人はよくこんなものを作ったものだ」と感心した経験があるが、ここのスケールはその比ではない。昔の船乗りたちは、このモスクの尖塔を目印にして航海していたのに違いない。
アヤソフィアモスクの隣には広大な「トルカピ宮殿」がある。1200年代から1900年代まで、約700年にわたってオスマントルコを支配した歴代のスルタンが住んでいた宮殿である。
この宮殿、真面目に歩いて見て回ると2時間はかかる。とてつもなく広くて、宮殿の中にはスルタンが着ていた服や馬車、椅子、風呂や刀剣などが陳列してあるのだが、そのほとんど全てに金銀宝石が飾られ、贅をほどこしたつくりとなっている。もし当時、長者番付があれば、このスルタンが世界のトップに君臨していただろう。王の宴を飾る女たちの風呂には黒人奴隷たちが、女たちの身体を清めるためだけに、使われていた。
10年前、タンザニアのザンジバルに行ったとき、多くの黒人たちがアラブの王様のもとへ連れて行かれた、と記されていたが、今も昔も富は一部に集中するものなのだ。
さて、明日もまた朝一番の飛行機に乗らねばならない。明日からはいよいよイラクだ。「飛んでイスタンブール」などと、浮かれていられるのも今日が最後。気を引き締めて行こう。

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このページは、nishitaniが2006年5月10日 11:25に書いたブログ記事です。

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