ハラブジャ再訪

1988年3月16日、フセインはイラン・イラク国境の町ハラブジャに、化学兵器を投下した。ハラブジャは一瞬にして死の町になり、5000人が虐殺された。2年前にこの町をはじめて訪れた時、「化学兵器虐殺記念館」を取材した。私のDVD第5章で、虐殺された子どもたちの写真や折り重なって死んでいった人々の様子を紹介しているので、もしよろしければ買い求められたし。
そこを2年ぶりに再訪してビックリした。記念館が爆破されていたのだ。テロがあったのは、今年の3月16日。そう、ハラブジャに化学兵器が落とされたその日、18周年を記念して、人々は平和式典を行っていた。式典に参加した人々の中に自爆テロリストが忍び込んでいた。そして爆発…。完成してわずか3年の記念館が完全に吹き飛ばされ、16人が殺された。
なんということだ。これは8月6日、広島の平和式典の途中で記念館が爆破されるのに等しい犯罪である。イランから来たシーア派過激組織の犯行だという。なぜこの記念館を狙ったのか?…ハラブジャの人々がスンニ派だから、である。イラクでは2月22日、サマッラで黄金のドームが爆破されて以降、各地でシーアとスンニの争いが続いている。貴重なモスクが破壊され続けているが、これもそうした「内戦」の結果なのだろう。
記念館には、化学兵器で亡くなった人々の名前が黒い壁に刻まれており、亡くなった人々の写真が飾られていたが、もうそれを見ることはできない。後世に語り継ぐ貴重な資料が一瞬にして奪われてしまった。
ハラブジャの市長と面談した。市長はハラブジャに平和公園を作りたいと語った。広島、長崎と兄弟都市になりたい、とも。
市長自身も88年の化学兵器攻撃で、57人の親族を亡くしている。この町で親族を失わなかった人はいないのだろう。平和公園にしたい、という土地を見せてもらった。周囲には亡くなった人々のお墓があり、ハラブジャの町を見下ろせる広大な広場だった。ここに広島・長崎からのモニュメントが建ち、折鶴が飾られ、日本からの観光客が訪れる日が来たらいいな、と考えた。

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このページは、nishitaniが2006年5月15日 11:29に書いたブログ記事です。

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