イサームからの手紙 2

昨日に続いて、イサームの手紙から

遺体安置所の一日
バグダッドのバブ・アル・ムアサーニはバグダッド中心部にほど近いところにある、中央遺体安置所。その中には3つの冷凍安置室がある。
アメリカの占領が始まる前の2003年には、そこには2〜3の解剖のための遺体が安置されるだけの、世界中の遺体安置所と同じようなところだった。そしてそこにはたった2人の医者と解剖のために働く2人の労働者がいるだけだった。しかし今や占領下で、アルジャファリ首相と、バクル内相の支配の下で、この安置所は有名になった。民兵が、死の旅団が、イラク警察が、アメリカ軍が、とりわけ2月22日のサマッラでの黄金のドーム爆破後、バグダッドのいたる所で殺人を犯すので、ここが有名になったのだ。
死体の多くには拷問のあとが見られる。打撃、電気ショック、硝酸、ドリルの穴、その他恐ろしい方法…。
今やバグダッドで警察に捕まるということは、彼の死体が、何日か後にバグダッドの通りのどこかで発見されるということである。あるイラク人が遺体安置所に遺体があふれているという話をしてくれたが「名前は出さないでくれ」と頼まれた。
この話を取材するため、私たちはバグダッド中央遺体安置所を訪れた。
安置所に近づいたとき、30メートルも向こうから遺体の死のにおいがしてくる。多くの遺体があるのだなと感じた。多くのイラク人がいて、悲しみを訴え、遺体安置所のそばで泣きながら何かを待っているのだった。その中の一人に「何があったのか」インタビューした。
「ここにやってくる人は全て、息子を、父や母を、友人たちを探しに来るのです。彼らは警官の制服を着た民兵に逮捕され、数日前に行方不明になった人たちです。今やイラクでは制服を着た民兵に逮捕されることは、遺体安置所送りを意味するからです。

失った人々を見つけることができたのか?
「何人かの行方不明者が遺体安置所で見つかりました。何人かはまだ見つかっていません。彼らは遺体を待っているのです。なぜならイラク警察は毎日、何回も遺体をここへ運んでくるからです。私が遺体を運んでいるとき、武装した2台の警察の車がやってきました。人々はその車に向かって走り出し、遺体の山から自分の息子の姿を探し始めるのです。(それはとても悲しい光景で、この戦争でイラクは大変難しい状態になっていることを示すものだ)
この混乱の中で、一人の男が「これは私の息子だ」と叫びながら銃をぶっ放しました。息子は拷問され殺されていたのです。「俺は息子を永遠に失ってしまった」彼は言いました。
周囲にいた人々も泣きました。その息子の片目がころげ落ちました。人々は彼にお悔やみをいい、私は涙をこらえることができませんでした。
息子さんの遺体には多くの穴が開いていました。中にはボルトやドリルで開けられたものもありました。安置所に遺体を置いてから、父の名前がアリーであること、そしていくつかの質問をしました。

誰が息子を殺したのか?
「わからない。息子は店員で、ラシード通りに店があり、3日前に警官に逮捕され、今、殺されたことがわかった」

なぜ息子さんが殺されたのか?
「彼がスンニ派だからだ。警官も民兵も同じだ。理由もなく、バグダッドでスンニ派を殺している」
息子さんは警察に追われていたのか?
「いいえ。息子は友人たちの仲もよく社交的だった。みんなから愛され、まったくの無実だ。何も悪いことをしていない。アリーさんはついに泣き出し、もうこれ以上質問できなくなった。

このインタビューを通して、日本のみなさんにも息子を失った父の悲しみが伝わったことだろう。
遺体安置所の中に入って、人々にインタビューをしようと試みたが、ジャーナリストには許可が下りず、安置所の中で何が起こっているのか取材できなかった。
安置所の中で働いているアデルというエジプト人が、「できるだけすばやくここを離れろ」とアドバイスしてくれた。この2〜3ヶ月で、死の旅団によって7000人以上のイラク人が殺され、遺体の多くは両手を後ろで縛られていた、と証言したファイク・バクルというここの管理人が死の脅迫状を受け取ったとのことだ。
私は遺体安置所を離れ、内部の事情を知っている人を探した。ラマダンという警備員を見つけ、質問した。
毎日何体くらいの遺体が運ばれてくるのか?
「先週は一日に100体以上、アル・タジというバグダッド北方60キロの町から運んできた。一日に20〜30体の日もある。平均では50〜60体くらいか。その95%が民兵か死の旅団に殺された人々だ。この場所は悲劇の場所だ。いつかここを離れ、違う仕事につきたい。」

遺体安置所に入ったことはあるか?
「はい。遺体を運び込むのを手伝うために何回も」

遺体はスンニ派かシーア派か?
「両方だ。この戦争は内戦をあおるためにやっているからだ」

どのようにして、両派を見分けたのか?
「遺族が遺体を受け取りに来るときに遺族に会ったからだ」
これが私の最新インタビューだ。たくさんの悲劇がある。私は、冷血に、理由もなく殺されていく人々を前に、悲しむだけで何もできない。
最後に、この遺体安置所で働く医師カイス・ハッサンが、衛星テレビで証言したことを書き留めたい。
バグダッド中央遺体安置所 受け取り遺体数
1068体  2006年1月
1110体       2月
1294体       3月
1115体       4月
そしてフセインの時代には、私たちは平均で1日に7から10の遺体を受け取るだけだった。

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このページは、nishitaniが2006年7月 3日 11:14に書いたブログ記事です。

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