クルド人、フセイン、そしてアメリカ

早いものでもう9月になった。5月にイラク・スレイマニアを訪れたのが、かなり前の出来事であるかのように感じる。幸か不幸か毎日新聞に、現在連載を続けているので、5月の出来事を思い出しながら書いている。以下は7月に書いたもの。
samah.JPG「こ、これは一体…」。奥まった部屋からサマーさん(20歳)が現れたとき、私は思わず息を飲んだ。イラン、イラク国境の町ハラブジャにサリンなどの毒ガスが撃ち込まれたのは1988年3月16日のこと。一斉蜂起したクルド人に対するフセインの「回答」が虐殺だった。
当時1歳半のサマーさんにとって、父や兄、姉の姿は写真で見るだけ。サマーさん自身も生死の境をさまよった。毒ガス攻撃で一瞬にして視力を失い、ようやく右目が見えるようになったのは3歳のとき。残念ながら左目は完全に失ってしまった。以来18年間、サマーさんは学校へも行かず、ほとんど家の中で過ごしてきた。かろうじて見える右目には、刺すような陽射しは厳しすぎる。日中、彼女はまぶしくて外に出られないのだ。当時の写真を持ってサマーさんの横に座ったのは母親のグラーウィッシュさん(52歳)。夫と4人の子どもを失った母と、左目を失った娘。生き残った家族はこの2人だけだ。
「この娘を見てくれ。11歳になるが、左手が痛くて痒くて毎晩眠れないんだ」。父親が指差すのは小学校5年生のパルクちゃん。大量破壊兵器である毒ガスは、瞬時に5千人もの人々を殺害したが、被害はそれだけでは済まなかった。汚染された土地で育った野菜、家畜、そしてそれらを食べ続ける現地の人々。人間は食物連鎖の頂点にいるので、汚染物質が体内にたまっていく。
パルクちゃんの二の腕は赤く腫れ上がり、あきらかに腫瘍ができて盛り上がっている。「名前は?」「好きな教科は?」とインタビューしている間も左手をかきむしっている。パルクちゃんの隣でむずがっているのは弟のカーメルちゃん。1歳半になるこの弟の首筋にも同じようなミミズ腫れが。父親にインタビュー。
「薬は?」「十分でない」「なぜ?」「同じような被害に苦しむ人があまりに多いので、薬が足らない」「国連や人道支援のNGOは?」「外国からの援助はまったくない」「なぜ?」「なぜって、こっちが聞きたいよ」。
1991年の湾岸戦争後、ハラブジャの地域を実効支配したのは「アンサール・イスラム」というイスラム過激組織だった。フセイン独裁の次がイスラム原理主義者たちだったわけで、国連などが入って活動する余地はなかった。化学兵器被害者にとっては踏んだり蹴ったりである。
「ハラブジャの悲劇はまだ終わっていない。日本のヒバクシャが戦後ずっと苦しみ続けたように」とは通訳のハリル。ハラブジャの学校では、必ず原爆のことを教えている。それどころかヒロシマと自分たちの姿を重ね合わせ、自分たちの町を「ハラブシマ」と呼んでいるほどだ。
「ここを平和公園にしたいのです。私の夢はヒロシマと姉妹都市になり、この場所に平和の象徴であるオリーブの木を植えて、ヒロシマのモニュメントを建てることです」と、カリーム町長。町長が案内してくれたのは、虐殺された人々の墓地を抱く小高い丘で、ここからなら町全体を見下ろせる。
カリーム町長の夢は私たちの夢でもある。近い将来、日本からの旅行者、特に広島・長崎のヒバクシャがこの町を訪れて、平和公園のモニュメントに折鶴をかける日がやってくれば、どんなに素晴らしいことだろうか。そのためにも今のイラク戦争を早く終了させて、人々が安心して観光できる国にしなければならない。文明発祥の地中東、本来の中東は見所がいっぱいなのだ。

これを書いてから、8月6日を迎えた。カリーム町長はじめ、イラクの人々は広島・長崎を訪問したがっている。ハラブジャについては、現在フセインの裁判でその虐殺の真相が明らかになりつつある。フセインは有罪になるだろうが、そのフセインをけしかけて、イラン・イラク戦争に導いたのは、実はアメリカ・イギリスなど西側である。クルド人問題を考えるとき、単純化して言えば強者(アメリカ)と、利用された勢力(アラブ・フセイン)、最底辺で苦しみつつ、フセインを倒したアメリカに救われた勢力(クルド人)ということになる。勢いクルド人たちの間に「アメリカ万歳!」の声が上がりがちなのでが、「真の敵はフセインでなくてアメリカだったのだ」ということをクルド人たちにも理解してほしいと感じるのである。

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このページは、nishitaniが2006年9月 1日 11:03に書いたブログ記事です。

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