イサームからのメール、続き

レバノン出発直前に、イラク人ジャーナリスト、イサーム・ラシードから最新メールが届いたのでご紹介したい。メールによると、イサームは交通事故というか、イラク軍の銃撃にあったようだ。現在のバグダッドは「クレージー」である。生活のすぐ横に殺人がある。米軍による殺人もひどいが、内戦状態のために、民兵が非常に多くの罪なき人々を殺している。ハキームに率いられたバドル旅団、モクタダサダルによるマフディ軍。そしてそれら民兵と一体となって、イラク国軍、警察が民間人を逮捕し、拷問の上殺害している。イサームの友人はそんな大混乱のバグダッドで米軍に射殺された。イサームやハッサン、ワリードなど、イラクには世話になった人々がたくさん暮らしているが、果たして彼らと笑顔のうちにバグダッドで再会できる日がやってくるのだろうか・・・。

こんにちは 、西谷さん。長い間メールを書かなくてすいません、というのは、
私は交通事故にあったのです。ご存知のように、妻が妊娠中で、臨月に入っていました。9月6日に、妻は病院に行きたがったので、病院への道中でした。
私はイラク軍が一人のギャングを追跡しているのを見ました。そして突然私の車の前にギャングたちが現れたのです。逃げようとしましたが、イラク軍は私の車へ銃撃をはじめ、いくつかの銃弾は車を貫通しました。窓を壊され、後部座席に座っていた娘は、そして・・・。
神のご加護か、娘と妻はまだ生きているし、私は彼らから逃げるため逆走し、壊れた車を
壁沿いに駐車したその後、私の目の前で、イラク軍がギャングたちを全て殺していったのだ。もちろん妻も娘もその光景を目の当たりにした。以後、妻は悲嘆にくれ、話をすることもなくなった。妻は自分とおなかの赤ちゃんのためにも、休息が必要だった。
とにかく、神のご加護で、私たち家族は無事だった。しかし車は壊されてしまった。(車などどうっていうことはないが)この事件で、現場にいた2人の無実の人が亡くなった。

そしてまた別の事件があったのだ。
9月15日、私の助手(彼は親友だった)が米軍によって射殺された。家に帰る途中、米兵たちは特別な銃弾を彼に浴びせた。私は彼の脳みそが床に散らばっているのを見た。その後私は彼を埋葬し、その時携帯電話も失ってしまった。
私にとってとてもつらく厳しい時期だった。あれ以来、私はメールボックスを開くことができなくなった。米軍の指揮官に会う機会があった。私は彼に親友のことを告げた。しかし彼は無実の人々を殺すことに対して、ほとんど何も気に掛けていない様子だった。ここでは親友を含む多くの無実の人々が、毎日のように米兵に殺され続けているのだ。
今月は、私の車に続いて親友の死という2つの悲しい出来事があった。
そしてうれしいニュースがある。9月18日に、ついに子どもが生まれたのだ。私は子どもの誕生を心待ちにしていたが、親友の死に直面して、とても喜ぶ気にはなれない。
親友の死を悼む。彼は日本からの寄付金でイラクの人々のために食物を買い出してくれた。そして私を助け、イラクの人々にその食料を配達していた。次の週も同じように私は食品を配送するが、そばにいるべき友人がいないので、とても悲しい。彼は殺されたのだ・・・。
私は援助の食料と配送しているところの写真を撮って、この間の事件のリポートとともに、あなたに送るつもりだ。あなたは、ぜひ彼のことについて書き、日本のみなさんに伝えてほしい。詳細についてはまたメールします。
イサーム

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このページは、nishitaniが2006年9月24日 11:06に書いたブログ記事です。

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