クラスター爆弾の被害者治療に立ち会う

レバノン南部の都市スーラと首都ベイルートのほぼ中間点に、スンニ派の街サイダがある。ここは暗殺されたハリーリ元首相の出身地で、ハリーリおよびその息子のポスターが目立つ。スーラではヒズボラのナスラッラーばかりだったのに・・・。
サイダにはハムード病院という拠点病院があって、スーラのジャバルアメル病院で一時治療を終えた患者が、この病院へ運ばれてくる。
shadeii.JPG本日(9月29日)時点で入院しているクラスター被害者は2人。サルハさん(50歳)とシャディさん(27歳)だ。先日までクラスターの被害を受けた子どもが入院していたが、イタリアの国連軍(UNIFIL)の空軍機でイタリアに運ばれていったので、残っているのはこの2人だけ。
サルハさんもシャディさんも共に農夫で、クラスターを踏んだのはみかん畑での作業中。
両者とも足を複雑骨折し、クラスターの鉄片が多数体内に残っている。医師にその数を尋ねるも「数え切れていない」とのこと。「今からシャディさんの両足に巻かれたガーゼを取り替え、消毒する」というので、患部を撮影させてもらうことになった。
医師はフランス語は話せるが英語はダメなため、詳しい解説は分からなかったが、時折シャディさんのことを「こいつはテロリストだから、狙われたんだ」などと冗談を言いながら、患部を固定している金具を持ち上げ、手荒な手つきでガーゼを剥ぎ取っていく。シャディさんの足は、骨と筋肉が剥ぎ取られ、あちこちに鉄片が突入した穴が開いている。医師はその穴に遠慮なく消毒液を流し込み、ピンセットで肉片と共に突入した鉄片を取り出そうとするので、そのたびにシャディさんは「ドクトール!」と悲鳴を上げる。
そんな壮絶な「治療」中に、医師の携帯が鳴り出し、治療を中断。しばし会話を始めるものだから、壮絶な治療を固唾を呑んで見守っていた家族から失笑が漏れる。
サルハさんもシャディさんも「傷が癒えたら、また農場に戻って仕事をする」という。「俺には11人の子どもがいるんだ」とサルハさん。
その子どももみかん畑で働いているので、家族の将来は危険がいっぱいだ。
クラスター爆弾の使用を禁止しないと、今後ますますこの種の悲劇は増産される。何しろ停戦後、クラスターによる死亡者は15人、負傷者は95人(9月29日現在)といわれている。
地雷は国際的な禁止条約が結ばれたが、クラスターはまだ。戦闘機から空爆でばら撒かれるクラスターについて言えば、一発の親爆弾から640個の子爆弾が飛び散り、その内10〜15%が不発弾として残る。地対地ミサイルからのクラスターは1発の親爆弾から88個の子爆弾が飛び出し、その内なんと40%は不発弾だ。かくして戦闘機と地対地ミサイルから放たれたクラスターの子爆弾は100万発以上である。クラスターの多くは、停戦2〜3日前、イスラエルが、南部レバノンにばら撒いたのだ。ヒズボラとの戦いに勝利できなかったイスラエル軍が、ただ相手に打撃を与えるためだけに、見境なくばら撒いた。このイスラエルの犯罪行為に対して、もっと大きな反イスラエル世論が沸き起こってもいいのだが・・・。

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このページは、nishitaniが2006年10月 4日 10:59に書いたブログ記事です。

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