アンマン2日目 薬の調達

本日はイラク・スレイマニアがん病院へ持参する薬の調達。大阪の保険医協会で作成していただいたリストに基づき、必要性と緊急性の高い薬から選んでいく。しかしここで難問が発生。今回は飛行機で運ぶので、総重量と、箱の数に制限があるのだ。イラク航空会社で、何キロまで、何箱までOKかを確認してから、その総重量と箱数にあわせて調達することにする。
2年前にも同じように薬を送ったので、アンマン・ダウンタウンの薬局の親父は、私のことを覚えていた。「アハラン・ワ・サハラン(ようこそ)」とあいさつした後、この主人と雑談。「2年前はトラックで輸送できたのにな」「そうだ。バグダッドの状況が最悪で、トラック輸送も狙われる」「予算に合わせて、重量と箱数を調整するよ」「あなたは、薬学をどこで学んだの?」「バグダッド大学だよ。だからバグダッドの様子をテレビで見て、大変心を痛めている」。
この主人はヨルダン人であるが、1981年から86年までバグダッド大学で学んだ。当時アンマンには薬学を学ぶ大学がなく、バグダッド大学に留学していたらしい。「あの頃のバグダッドは良かったぜ、学費は無料。物価は安く、治安も良くて、毎晩2時頃まで飲んでいたね」。
イラン・イラク戦争中だったが、バグダッドはまったく平穏だったという。フセイン政権は「アラブ人なら学費は無料」という政策で、病院その他も無料で過ごしやすかったとのこと。その頃は誰も自分がスンニ派、シーア派などと意識もせず、同じ「アラブ人」として暮らしていたそうだ。
最も彼はスンニ派なので、そのあたりは優遇されていたのかもしれない。しかし今のような互いに殺しあう内戦状態でなかったのは確かで、フセインという重しを取り除いたために、最悪の事態を招いた点について、アメリカの責任を厳しく追及していた。
「今のイラクを治めようと思えば、フセインがあと10人は必要だな。それほど混乱しているよ。とにかく子どもがたくさん死んでいる。無事に薬を届けてくれ」。
フセインは独裁者であった。多くのシーア派、クルド人を虐殺もした。だからフセイン政権が良かったなどとは、私は思わない。しかし独裁政権であっても、外部から無理やり戦争を仕掛けて、フセインを倒すような乱暴なことをすると、現在のイラクのような内戦になってしまう。「アメリカ型の民主主義」を押し付けてはダメなのだ。
おそらくフセイン政権を打倒するか、その政権の中で徐々に民主的改革を進めるか、そういった類のことは、イラク人自身が決めることであって、アメリカが決めることではない。
同じことが、イランにも、北朝鮮にも言える。
明日までに、薬の量を決めなければならない。薬は木曜日に調達完了予定だ。アオギリと薬、そして希望を届けて、「日本人もなかなかやるやん」ということになれば一番いいのだが・・・。

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このページは、nishitaniが2007年2月28日 02:52に書いたブログ記事です。

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