米軍の通訳は、民兵の銃弾に倒れ、傷ついた

2月28日は、ダマスカスのジャラマナ地区という、イラク難民が多く住んでいる町を訪れた。バグダッドはじめ、イラクのほとんどの都市で、アメリカ占領軍による殺戮と、内戦激化で、イラク人が難民化している。
この街で、イラクから逃げてきた人々の証言を拾ってみた。

ムスタファさん(22歳)の体に、8発の銃弾が撃ちこまれたのは、昨年10月のこと。彼はあの悪名高いアブグレイブ刑務所で、米軍の通訳として働いていた。彼と彼の叔父、いとこの通訳は3人だった。06年10月、休暇をとってアブグレイブから、バグダッドの実家に帰ろうとしていた。タクシーに乗って実家に向かっていたら、突然民兵が現れた。民兵たちはタクシーをストップさせ、問答無用で撃ってきた。叔父は即死、彼も8発の銃弾に倒れた。
その内の一発は心臓をかすめた。「あと1ミリずれていたら、心臓に当たって殺されていた」彼は自分の胸を指差した。
あご、右腕、腹部、足・・・それぞれの弾痕をカメラに収める。生き残ったのは奇跡に近い。あごに入った銃弾は、取り除くのに4か月かかった。その間、呼吸ができないので、のどに穴を開け、チューブで空気を送り込んだ。
「俺の父親は早くに死んでしまい、今は母と妹と暮らしている。シリアに逃げてくることはできたが、現在まったく仕事がなく無収入だ。国連の援助を待っている」。
ムスタファさんたちが、国連から援助を受けることができるのは、少なくともこの7月からだという。それまではまったくの無収入。「7月までどうやって暮らせばいいんだ。あと4ヶ月以上もあるんだぜ」。
銃撃の後遺症のため、右腕に力が入らず、肉体労働はままならない。バグダッドに帰れば、仕事のあてがあるのだが、「米軍の通訳」という過去があるため、おそらくまた狙われてしまう。
「撃ったのはスンニ派の民兵だ。俺はシーア派だからね」。取材をしていて、ほとんどのイラク人は「スンニもシーアもない。俺たちはイラク人だ」と言ってくれるのだが、実際は、ただスンニ、シーアであるだけで、ただ過去にその職業についただけで、殺されてしまうのがバグダッドの現実だ。
アブグレイブ刑務所に勤めていたとのことなので、米軍の虐待を見ていたのか尋ねたが、あの虐待事件があって、米軍の体制やそれまで雇われていた通訳が総入れ替えになって、その後、通訳として雇われたので、虐待については知らない、とのことだった。
いずれにしても、彼の運命は米軍と戦争に翻弄された。大学で経営学を学び、戦争さえなかったら、バグダッドで普通にビジネスをしていたであろう、ムスタファさんは、今、シリアのダマスカスの貧民街で、ただ、援助を待つだけの生活を余儀なくされている。

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このページは、nishitaniが2007年3月 2日 02:38に書いたブログ記事です。

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