シリアに逃げたイラク難民

ダマスカスのジャラマナ地区は、逃げてきたイラク人がたくさん住んでいる地域だ。何しろシリアには150万人ものイラク人が難民として入国し、その内の半数は日々の生活にも事欠く状態だという。
インテサーさん(33歳)は4人の娘がいる。上の二人をシリアに連れて逃げてくることができたが、下の二人はまだバグダッドにいて、祖母が面倒を見ている。
インテサーさんはどうしてシリアに逃げなければならなかったか?
それは自動車を使った自爆テロである。1年半前、インテサーさんは自動車テロに巻き込まれ、3ヶ月間を意識不明で過ごす。インテサーさんのお腹には赤ちゃんがいた。意識不明の身体から、バグダッドの医師は、帝王切開で娘   ちゃんを取り出した。
3ヵ月後、意識を取り戻したインテサーさん、爆発の衝撃と長期にわたる意識不明状態のため、彼女の脳はダメージを受け、神経の麻痺により歩行困難となった。
夫は入院中に、対立する宗派グループに拉致され、行方不明。生活にも事欠く状態で、仕方なく2人の娘だけを連れて、逃げ出したのだ。
シリア政府や国連からの援助は皆無。近所に住む逃げてきたイラク人の支えで細々と生活をしている。
しかしその状態も長くは続かない。もし国連の援助がなければ、シリアに住み続けることができなくなり、イラクに帰らねばならない。
「イラクに帰るのは嫌です。何とかシリアに残り、娘の子育てとリハビリを続けたい」とインテサーさんは訴えた。
ディア君(9歳)は小学校3年生だが、学校には行かず車椅子の生活を家の中で続けている。
2005年7月10日、父親の運転で、母、兄弟とともに小学校へ向かう途中のことだった。とあるビルの屋上から、米兵が車に向けて発砲してきた。バグダッドではこのような「気まぐれ発砲」が後を絶たない。米兵が撃った数発の銃弾のうち1発がディア君の背中に命中した。
「何が起こったかすぐには分からなかった。気がつけばおにいちゃんが倒れていて、あたりは血の海だったんだ」。すぐ下の弟ハムド(8歳)は、ディア君の隣に座っていたのだ。
ディア君は4ヶ月間バグダッドの病院に入院した。米兵の放った銃弾は、体内に入ってから爆発するタイプのもので、いまだに50以上の破片が残る。
銃弾は背骨の一部をえぐりとり、ディア君は下半身不随となった。
サッカーが大好きな9歳の少年は、それ以後学校に行かなくなった。
「みんながサッカーをしているのを見るのがつらいんだ。普段は家にいて、たまに外の通りを車椅子で散歩する・・・」語りながらデイァ君は泣き出してしまった。
「僕はお医者さんになって、お兄ちゃんを歩けるようにしてあげたいんだ。車椅子から立ち上がって、前のように一緒に遊びたいよ」。ハムドも泣きながら将来の夢を語った。
米兵が気まぐれで撃った一発の銃弾がディア君たち家族の人生を大きく狂わせている。米軍はいまだに何の補償もしていない。大量破壊兵器があるというウソで始まった戦争で、人生を狂わされた家族の「本当の事実」が、ここにも一つ転がっている。

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このページは、nishitaniが2007年3月 3日 02:40に書いたブログ記事です。

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