何と地元のテレビに出演してしまったのだ
3月5日は、急遽予定を変更して、ハラブジャの町を訪れた。ハラブジャは「イラクの広島」と呼ばれているところで、1988年サダムフセインの化学兵器によって、5千人もの人々が一瞬にして殺戮された街として記憶に残さねばならない街だ。
今回、広島市長から「被爆アオギリ」をいただいたので、その苗木をハラブジャの公園に植えるというプロジェクトであるが、それが地元のテレビ局に伝わって、盛大な儀式が開催されることになった。
私たちを出迎えてくれたのは、ハラブジャのPUK(クルド愛国者同盟)の責任者と、警察署長、そしてハラブジャ市長。現地では市長よりPUKの責任者の方が、より重要人物である様子。
ハラブジャの集団墓地の前で、記念式典がスタート。
持参した「被爆アオギリ100万本」という音楽が流れる中で、集団墓地に幹部3名とともに献花する。
その後、被爆アオギリの説明と、日本からの支援物資の説明をする。
この日の模様は、地元テレビ3局が放送し、翌日から「テレビで見た」と声をかけられることとなった。
ともあれ、「広島とハラブジャを結ぶ」というプロジェクトは、現地では大歓迎され、今後の期待の大きさと責任の重大さを感じた一日だった。
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