キルクークに入る

本日は激戦地キルクークに入った。スレイマニアから車を飛ばしてわずか1時間半ほどの距離にあるキルクークだが、内戦が激化し、国内避難民が急増している。
PUK(クルド愛国者同盟)に護衛を頼み、ピンポイント取材を敢行した。
油田で有名な町キルクークは、その油田があるために、利権をめぐって戦乱が続いてきた。フセインは、油田をアラブ側で押さえるために、元からすんでいたクルド人を追い出し、南部シーア派を大量に移住させた。キルクークに住んでいたクルド人たちは大量に難民となった。03年アメリカの侵攻でフセインが倒れると状況は逆転する。移住してきたシーア派アラブ人たちを、今度はクルドの帰還民が、追い出しにかかる。かくして、キルクークではアラブとクルドの領地争いが展開され、内戦状態に陥っているのだ。ややこしいのは、ここに「トルコマン人」がからみ、トルコがキルクーク油田の利権の一部を手中にしようとして、トルコマン人を刺激している。いわば三つ巴4つ巴の戦いである。
キルクークスタジアムへ。ここではサッカーや陸上競技が行われていたが、今は競技場が難民キャンプに変わっている。選手の控え室やロッカーが、難民たちの住居。電気は通電せず、給水車は3日に1回しか来ない。
戦闘が激化すると、夜間外出ができないので、子どもが病気になっても、病院にも連れて行けない。親たちは失業し、今はクルド政府の月20ドルの支援金で、細々と命をつないでいる状態だ。
生活排水と汚水が、スタジアムから漏れ出して異臭を放っている。03年のイラク戦争後から、ここは難民キャンプ化しているので、この生活がもう4年間も続いていることになる。
「ジャーナリストたちは、俺たちの生活を写真に収めるだけじゃないか!、アメリカからも、フランスも、イギリスからも、たくさんテレビや新聞がやってきたが、写真を撮るだけで何の援助もしてくれなかった。日本はどうなんだい?」と厳しく追及された。
絶望・・・「将来の夢は?」と聞いたときの答えであった。いまだに戦闘続くキルクーク。人間らしい生活が送れない難民キャンプから、わずか車で1時間半のスレイマニアは天国のようである。
阪神大震災で、神戸の小学校に寝泊りする被災者と、電車で30分のところにある大阪梅田で、連日ナイトクラブやディスコなどでお酒を飲む人々。
なぜか当時の神戸を思い出してしまった。

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このページは、nishitaniが2007年3月10日 02:46に書いたブログ記事です。

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