通訳ワリードもバグダッドを脱出

2003年と04年にイラク入国した際、通訳として行動をともにしたワリードが、バグダッドを離れてチェコに逃れた。若い頃チェコに留学していたので、チェコ語はしゃべれるワリードだが、妻と3人の子どもは、これから異国の地で新しい生活がスタートするわけだ。何はともあれ、無事でよかったが、ワリード一家は、スンニ派の平均的な所得層の家族である。05年頃から、彼は何度もメールで「もうバグダッドには来るな。殺されるぞ」と警告してくれていた。04年には一緒にサドルシティーに入り、ツワイサ核施設にも同行してくれた。拙著「報道されなかったイラク戦争」にもワリードのことを、

ワリードとは03年11月、バグダッドで知り合った。ヨルダンの首都アンマンから乗り合いバスでバグダッドに到着した夜、レストランで食事をしていたときだった。メニューの全てがアラビア語で、店員も周囲の人々も英語が通じなかったものだから、途方にくれていると、「ディナーはうれしそうな顔で食べないとダメだよ。スマイルスマイル」とクリアーな英語。こいつや!「おまえ、名前は?」「ワリード」「英語、上手だな」「チェコに留学していた」「今の仕事は?」「高校で物理を教えている」「明日は仕事あるか?」「仕事なんて何とかなる。というか、イラク全体が失業状態だよ」「車持ってるか?」「72年製のトヨタだけど。十分走るよ」。かくしてワリードは私の通訳&運転手になった。1972年製のトヨタは、冷房もなく窓も開かない代物だったが、サドルシティー、マハムディーヤなどの激戦地を走り抜けてくれた。ワリードは戦場となったバグダッドに住んでいる。「チェコは良かったぜ。美人ぞろいで、毎晩ウイスキーで宴会。当時はイラク人のほうが金持ちでモテモテだったよ」。下ネタ大好きで陽気なワリードから笑顔が消えていなければいいが・・・。

と、紹介したのだが、やはりバグダッドには住み続けることができなかった。「もうバグダッドには戻らない」と言い切るワリード。彼にとっての故郷は永遠に思い出の中だけになるのだろうか・・・。

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このページは、nishitaniが2007年4月13日 02:34に書いたブログ記事です。

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