イラーフちゃんとJIM−NET

本日(9日)は、アンマンで活動を続ける日本のNGO、JIM-NET(ジムネット)の事務所を訪問。出迎えてくれたのは加藤丈典さん(25歳)。大学を卒業してクェートに留学していた彼は、アラビア語がぺラペラ。アンマンに来てまだ2週間に過ぎないが、会話ができるので、すっかり街に溶け込んでいる。
彼の案内で、イラーフちゃん(5歳)のアパートへ。イラーフとは「みんなが知っている者=人気者」という意味。2002年、バグダッドの北方ディヤラ州で彼女は生まれた。正常分娩で、健康だった。やがてイラク戦争が始まり、ディヤラ州もアメリカの空爆を受けた。3歳になった頃、イラーフは頭痛を頻発し、嘔吐するようになった。左目が異常に片寄り、父は彼女を病院へ連れて行った。「脳内に腫瘍ができている」との診断。イラクでは治療は困難だった。父は自分の車、家財道具、そして弟の車まで売り払って、1万ドルのキャッシュを作ってヨルダンまでやって来た。2006年11月のことだ。父と娘、2人だけの生活が始まる。幸い、キングフセインがん病院での手術が成功し、症状は快方に向かっている。手術後30数回にわたる放射線治療を経て、現在は薬による治療。イラーフの治療費だけで1万ドルもの大金を使い果たしてしまった父は、今、JIM−NETの援助で細々と生活する。アパートの家賃、食費、その他…。イラーフの治療はあと一年は続くので、日本からの援助だけが頼り。
現在はラマダーン中なので、日没後、イラーフ父子と加藤さん、同行の吉田君そして私の5人でささやかな夕食をとった。普段は二人きりで食事をすることの多い父が「たくさんの人と一緒に食事をするのは楽しい。イラーフも喜んでいる」と、感謝の言葉。ラマダーン明けが数日後に迫る本日は、日本でいえば大晦日のようなもの。母親とはなれて早1年。母とは電話だけの連絡だが、電話するごとに、母は「イラーフに会いたい」と泣いてしまう。何とかしてラマダン明けのフィトロ祭にはディヤラ州に帰郷したいのだが、アンマン〜バグダッドの飛行機運賃がばか高いのだ。なぜか?撃墜される恐れがあるので、高い保険に入っているからである。もちろん陸路でも帰れるが、治安の問題と、イラーフの体力の問題があって、空路で帰らざるを得ない。
明日、父はイラーフを連れて航空会社に交渉に行く。しかし運賃をディスカウントしてくれる可能性は低い。なぜなら陸路は危険なので、多くのイラク人が空路を利用している昨今、飛行機は常に満席状態なのだ。
「イラクの子どもを支援する大阪市民基金」が、「イラーフ、パパママ募金」を呼びかけている。イラーフの治療が終わるまで、日本から援助金を送ろうという取り組みである。詳細はホームページで。http://supporttheiraqi.aikotoba.jp/

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このページは、nishitaniが2007年10月10日 02:00に書いたブログ記事です。

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