ジャラマナ地区より イラク難民の絶望

本日(7日)もジャラマナ地区。地区の中心、とあるオフィス。イラク難民に集まってもらって、一家族ずつインタビュー。通訳はヌーマン医師。放射線科の医師としてバグダッドで働いていたが、「医師は殺す」という民兵からの脅迫状が届いて、シリアに逃げてきた。つまり通訳も戦争被害者である。
ヤシンさんは妻と子ども3人の5人家族。フセインの軍隊に所属していたヤシンさんは、バグダッド軍事空港のすぐそばに住んでいた。2003年3月〜4月の空爆で、ことのほか徹底的にやられたのが、このバグダッド軍事空港近郊だった。長男は現在8歳。つまり空爆時は4歳だ。4歳まで正常に発達していた長男の身体が、空爆後変調する。言葉がうまくしゃべれなくなり、視力が低下、歩き方もぎこちない。不安になった両親は病院で診察を受けるが、回答は「脳がダメージを受けている」。本来なら小学校3年生の長男は、現在1年生として小学校へ通う。
二男は当時わずか8か月。4歳になった今、やはり「脳のダメージ」のため、知的障害をおっている。劣化ウラン弾?あるいはまた違った種類の爆弾の影響なのだろうか?
兄弟に共通するのは、「黒目の位置がおかしい」こと。黒目、つまり瞳が異様に中央に寄っている、いわゆる「ひんがら目」になっている。
4年前バグダッド軍事空港の近郊を訪れたとき、やはり同じような娘さんと出会った。空爆までは正常に発達した娘が、空爆後、ぐったりして、やはり視力低下を起こしていたのだ。あの時通訳のワリードは「何か新しい爆弾を使用したのでは?」と言っていたが…。
空港の周囲は、フセインの軍人がたくさん住んでいたところで、アメリカはそんなところだからこそ、「新型兵器」を試したのだろうか?

ヤシンさん家族にインタビューしていると、次から次へと「私の話を聞いてくれ」「俺の息子は…」と、難民たちが口々に窮状を訴える。このジャラマナ地区に腰を落ち着けて取材する必要があると感じる。
今回の取材では、イラククルド人地区にも入らねばならない。しかし予定を変更して、クルド地区を早めに切り上げて、ダマスカスに戻ることにした。その時に、イラク難民の実態をもう少し詳しく取材しようと思う。帰国すれば、この人たちの映像を観てもらわねばならない。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)はほとんど何も援助していない。人道支援のNGOもいない。彼らは家財道具や車、家を売ってシリアにやってきている。しかし仕事もなく、難民認定も受けられないので、日々の生活にも事欠く状態だ。
「ノーホープ、ノーヘルプ」(希望も援助もないよ)。ヌーマン医師が絶望的な現状を一言でまとめる。
ラマダン明けの「フィトル祭り」が迫っている。日本の正月にあたるお祝いの日だ。しかしイラク難民たちの表情は暗い。彼らの絶望は、いつまで続くのだろうか…。

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このページは、nishitaniが2007年10月 8日 02:09に書いたブログ記事です。

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