命どぅ宝
本日(9日)は私の娘、宝の命日である。「命どぅ宝」という沖縄の有名な言葉から、宝と名付けた。宝が生まれたとき、私はレバノンでクラスター爆弾の取材をしていた。1200人ものレバノン人がイスラエルの空爆で殺されていたが、戦争が終わっても、クラスター爆弾の不発弾で多くの人々が現在進行形で傷つき、命を奪われていた。
宝は18トリソミーという難病で、遺伝子の18番目が「トリソミー」、本来なら2本しかない遺伝子の腕が3本あり、その異常で心臓や耳が正常に発達していなかった。心臓の壁が育っていなかったため、肺からのきれいな血液と、全身から戻ってくる汚れた血液が混ざってしまい、医師からは「2ヶ月持つかどうか」と宣告されていた。
亡くなる前日、苦しそうに呼吸する宝の指を保育器越しに握ってやると、宝は私と妻の両方を交互に見つめてくれた。今にして思えば、あれが最後の別れだった。
あれからちょうど一年、私はイラク入りをめざして中東に戻ってきた。ここに暮らす戦争犠牲者はこの4年間で家族を、愛する人を失った。自ら障害を負ったり、生活の基盤を失った人がほとんどだ。この地でたくましく生きる子どもたちを見ていると、どうしても「宝が生きていたら、同じくらいやな」と考えてしまう。
日本と違って、こちらは多産系なので子どもが多い。貧しいながらもたくましく生きる姿を見ていると、「子どもは社会の宝物」だと感じる。
おそらく、近日中にイラク入りをすることになり、子どもを失った親、親を失った子どもの取材にあたることになるだろう。彼らの証言を、できるだけ身近なものに引き寄せて取材したい。
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