11日、イラク入国に成功

こちら(北イラク)では、電気事情が悪いため、インターネット接続時間が限られている。したがってブログを更新することが2日ほどできなかった。この間にイランでの邦人誘拐事件が起こったため、ご心配されている方も多いだろうと想像する。こちら(スレイマニア)では、治安に関しては比較的安定していて、なおかつPUK(クルド愛国者同盟)と行動をともにしているので、無事取材を終えて帰国できると考えている。で、以下はこの間の行動。

本日(10日)深夜、アンマン発アルビル行きの飛行機に搭乗。2時間ほどのフライトでイラク、アルビルに到着。11日未明、無事入国審査をパスしてアルビルへ。出迎えてくれたのはファラドーン。PUKの職員で、彼と行動するのはもうすでに3回目だ。
未明の車窓から見えるアルビルの風景は、4年前とは一変していた。まず道路が拡幅され、メインストリートには高層ビルが建築中。アルビルはクルド地域の首都で、イラク復興費、そしてオイルマネーで、大規模なインフラ整備が進んでいる様子。アルビルのKDP(クルド民主党)責任者は、「今から4年後、アルビルはドバイのようになる」と豪語している。UAEのドバイは、この数年間中東で最も開発が進んだ国際都市だ。
約3時間のドライブでスレイマニア市に到着。アルビル〜キルクーク〜スレイマニアへと続くメインストリートをぶっ飛ばせば早いのだが、途中のキルクークが危険なので、山道を遠回りしたため、3時間かかったわけだ。
仮眠後、スレイマニア大学がん病棟へ。ラマダン明けのフィトロ祭が控えているため、症状の軽い子どもは実家へ帰っている。したがってベッドに横たわる子どもは、数人。全てが、ここ2ヶ月以内にがんを発症。ハラブジャで使用された化学兵器のためなのか、それともアメリカが使用した劣化ウラン弾のためなのか、やはり特徴は「子どもが多く、最近になって発症」というもの。半年前に来たときに入院していた子どもはもうすでにいなかった。亡くなったのであろうか…。
「日本から人道支援のNGOが来た」とのことで、地元テレビの取材を受ける。こちらが病棟を取材したいのであるが、しばし病棟の前でインタビューされる。本日の模様は午後9時の地元ニュースとして報道された。
午後9時半、私の宿泊するホテルにスレイマニア大学の教授たちが訪れてきた。実は彼らは今年広島で開催された原水爆禁止世界大会に出席したのである。クルドから来日する際に、私がビザを段取りしてあげたので、そのお礼もかねてやってきた。
ラマダン中であるが、ウエルカムパーティーを開催。久々のウィスキーにありつく。ここクルド地域はそれほどイスラムが強くないので、酒類は比較的簡単に手に入る。アンマンでは非常に苦労したのであるが…。
飲み干したウイスキーのグラスが増すにつれ、みんな饒舌になっていく。互いに下手な英語で自らの人生史を語りだす。18歳でフセインの軍隊に逮捕され、1年間を刑務所で過ごし、その後イラン・イラク戦争が始まり、イラン側について蜂起。やがて化学兵器を使われ、死屍累々の町を後に山に逃げ込み、ペシャマルガ(PUKの兵士)になって、1991年独立を勝ち取る…。1961年生まれなので私と同年代だが、老けて見えるのは、それだけ苦労しているからだろうか…。
何はともあれ明日はラマダン明けのお祭りだ。みんな嬉しそうな様子。ウイゥキーのほろ酔い気分で、今日は寝るとしよう。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 11日、イラク入国に成功

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.nowiraq.com/mt/mt-tb.cgi/19

コメントする

このブログ記事について

このページは、nishitaniが2007年10月12日 02:11に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「イラーフちゃんとJIM−NET」です。

次のブログ記事は「激戦地キルクークで自爆テロを取材」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01