キルクークよりスレイマニアへ

18、19日は激戦地トゥーズフルマートゥー(以下トゥーズと略)取材を敢行していたので、またまたブログを更新できなかった。「今度こそ拉致されたのと違うか(笑)」と心配をおかけしたかもしれないが、無事スレイマニアに帰還したので、この原稿を書いている。本日(20日)がスレイマニアで、明日アンマンに飛び、その足でダマスカスに行きディア君(米軍の銃撃によって下半身不随になった少年)と面会し、22日の昼にアンマンに戻り、23日は大阪に帰る予定。つまりもう危険な場所には行かないわけで、これからの3日間は「温泉気分(笑)」で取材できる。それで、今回は17日に敢行したキルクーク取材の模様。

17日午前6時、通訳のファラドーンの車でキルクークをめざす。13日にキルクーク病院を訪れた際、自爆テロで片目を失い、胸に鉄の破片が突き刺さり危篤になった少年、ムラート君(13歳)に出会った。彼はキルクーク〜バグダッドを結ぶ国道の途中、トゥーズの出身。

ラマダン明けの12日は、フィトロ祭りの初日。少年たちは祭りでごった返すトゥーズの市場で遊んでいた。午前8時半、手押し車に穀物を載せた男が市場に入ってきた。誰もが行商の男と考えた。彼は実はアルカイダだった。その手押し車の中には強力な爆弾が隠されていたのだ。やがて…。
気がついたときは、あたりは血の海だった。あちこちに犠牲者の腕や、足、頭などの肉片が飛び散っている。叔父さんたちがやって来て、キルクークの病院まで運ばれた。病院で生死の境をさまよっている時、なんと日本人が病院にやって来た。こんなところまで日本人がやってくるなんて!母が泣きながら、叔父さんたちは不慣れな英語で精一杯「この子を助けてやってくれ」と訴えていた。やがて僕はまた、意識を失っていった…。

キルクーク病院には薬がなく、技術のある医者もいないため、このまま放置すればこの少年は死んでしまう。私にも同年代の息子が2人いるし、苦しそうに「アー、アー」とかすれ声をあげているムラート君の姿が脳裏から離れなかった。そこで柄にもなく(笑)「ムラート君救出作戦」を敢行した。スレイマニア大学病院の医師に受け入れを頼み、承諾を得て、キルクーク病院からスレイマニア大学病院絵へ搬送することにしたのだ。
スレイマニアからキルクークまでは約2時間。途中5か所の検問があって、最後の検問を越えてから病院までが危険な道のり。13日にキルクークを訪れたちょうどその時、警察署に自爆テロが突っ込み、警察署長が殺されたばかり。最後の検問の手前で、「今日、17日はフィトロ祭明けで仕事始めの日だ。テロリストは仕事に向かう警察官や病院関係者を狙う可能性がある。今日は普段より危険度が増している。お前たちはあの検問所で待っていて、俺たちだけで搬送してこようか?」とファラドーンの提案。いつもながら、最後の大事なときに「脅しに似た忠告」を言うのがファラドーンの特徴。
少々危険かもしれないが、少年を救急車に乗せて運ぶ場面から撮影しなければならない。病院までの道のりをハイスピードで走り抜けることにした。
無事キルクーク病院に到着。駆け足で受付を通り、病棟へ。3階へ上る。廊下にべっとりと血がこびりついている。昨晩テロリストに銃撃された患者が、本日朝7時に息を引き取ったという。その血が病室から廊下に流れ出しているのだ。
4日ぶりにムラート君と再会。彼の状況は若干持ち直しているが、依然として危険な状態。早く胸に突き刺さった鉄の破片を取り除かないと、彼の命は危うい。
午前9時、ようやく救急車が到着。「ヤッラ、ヤッラ(早く早く)」、親族たちがストレッチャーにムラート君を乗せて、救急車に。
ここで同行の吉田君が、救急車に同乗し、彼と母親を撮影。私はファラドーンの車で救急車を追いかける。
病院を出る。通行人が叫ぶ「日本人だ!日本人が乗っているぞ!」。日本人が珍しいので、ただそれだけで「ヤーバニー(日本人)」と叫んだだけかもしれない。しかし彼がテロリストの仲間で、携帯で連絡するかもしれない。
ファラドーンはアクセルを一杯に踏んで、猛スピードで走り出す。5分、10分…。検問所が見えてきた。無事検問を通過。私たちの車に続いて救急車も無事通過。思わず笑みがこぼれる。
スレイマニア大学病院で、医師二人にあいさつ。一人が胸の手術、もう一人は右目の手術を受け持ってくれる。日本からの支援金50万円をムラート君の家族に手渡す。
おそらくこれでも足らない。医師によると、少なくとも1年間は入院し、治療を続けないといけない。
日本に帰ったら、募金の訴えを強化しようと思う。

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このページは、nishitaniが2007年10月21日 02:15に書いたブログ記事です。

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