トゥーズフルマートゥーで自爆テロ現場を取材

18日、19日は激戦地のトゥーズフルマートゥー(以下トゥーズと略)への1泊2日取材を敢行した。ムラート君がどこで自爆テロに遭ったのか、家族はどうしているのか、一緒に遊んでいた従兄弟たちの具合はどうなのか、その他のテロや銃撃戦の様子などを取材しようと思えば、一日では足りない。
護衛2人をつけてスレイマニア市を出る。通訳はヌルディン。先のブログで紹介したように、彼は18歳のときにフセインの軍隊に逮捕され、1年間を刑務所で過ごし、その後イラン・イラク戦争が始まり、イラン側について蜂起。やがて化学兵器を使われ、死屍累々の町を後に山に逃げ込み、ペシャマルガ(PUKの兵士)になって、1991年独立を勝ち取った。とりわけ湾岸戦争後91年のフセイン軍との戦いは熾烈を極め、彼の生活はほとんど全て山の中。攻め上ってくるフセインの軍隊を山の上から撃退したという。
肝の据わっているヌルディンは、「ジャーナリストは少々危険を犯しても現場へ入るべきだ」と言う。「ベリーデンジャラス(危ない)」を繰り返すファラドーンとは対照的。
スレイマニア市からトゥーズに行くには二通りのコースがあって、一つは「キルクーク突破コース」。これは戦争前までは最も一般的なルートで、約3時間で着く。しかし途中のキルクークが非常に危険なので、避けたほうが良い。私たちはもう一つの「山越え迂回コース」を選んだ。クルディスタンはその土地のほとんどが険しい山々。いくつかの峠を越え、山間の村を通過し、到着したのがラズカリーという町。すでに夜の帳が下りているので、ラズカリーの警察庁舎に宿泊。ここの警察署長さんがヌルディンの友人で、私たちは無料で宿泊させてもらった上に、庭でバーベキューとクルドの民族ダンスを楽しんだ。
翌朝8時、ラズカリーからトゥーズをめざす。警察署長さんは「護衛が足らない」と、7人ものPUK兵士を追加で同行させてくれることになった。その内の一人は機関銃を持っている。「過剰警備だ」とヌルディンが笑う。「これだけの警備があればバグダッドにも行けるぜ」。
私たちのランドクルーザーの前を、7人の兵士を乗せたトラックが走る。荒涼とした大地の中を一本の道が地平線に向かって伸びている。先行するトラックはその道の真ん中を走る。対向車線からやってくる車は、トラックを見て、路肩に避ける。なぜ私たちは道の真ん中を走るのかというと、それは「路肩爆弾」なのである。この一本道では、路肩に仕掛けられた爆弾をテロリストが携帯電話を使用して爆発させ、警察官や国防軍を殺害している。「仕掛け爆弾国道」と呼んでもよい道だったのだ。道のあちこちに大きな穴が開いているが、それは仕掛け爆弾の爆発跡だったのだ。
午前10時トゥーズに到着。トゥーズのPUKはコンクリートの壁に囲まれている。自爆テロ車が突っ込むので、壁を作って防御している。
10月12日のお祭り初日に起こった自爆テロ現場へ。現場は普通の商店街だった。電気屋さんの前で爆発したようだ。シャッターが壊れ、店内に電気製品が散らばっている。ムラート君はこの商店街で遊んでいたのだ。
この爆発での死者は4人、重傷者は20人。現場の対面が人家なので、そこを訪ねる。家の中に犠牲者が横たわっている。全身大やけど。顔面には白い粉が塗られ、両手の皮膚はただれ落ち、両足には白い包帯が巻かれている。彼はこの家族の父親で、中学校の数学の先生だ。息子も顔面にやけどを負っている。祭りの初日なので、買い物をしている時にやられたという。
私たちが取材をしていると、「俺の息子もやられたんだ」「私の夫も」…。とあちこちから「家に来い」「状況を見てくれ」と声がかかる。一人の自爆によって、たくさんの不幸が引き起こされている。
ムラート君の実家にはお母さんが帰ってきていた。彼は8人きょうだいの末っ子で、父親は早くに亡くなっていた。英語が上手な姉が「日本のみなさん、本当にありがとうございます。でもムラートを治療するには、まだまだ援助が足りません。どうか私たちを見捨てないでください」と訴えた。
犠牲者たちの家族を一軒一軒訪ね歩いたので遅くなってしまった。最後にトゥーズ市長に自宅まで招待される。市長は「私の町に来た日本人はあなた方が初めてだ。トゥーズの町には石油がある。カナダなどの石油会社が、すでにトゥーズに来て営業を開始している。どうして日本の企業はこの町に来てくれないんだ」と、日本への期待を口にする。
このあたりは少し掘れば石油が出てくる地域らしい。トゥーズには米軍基地がある。石油のあるところに基地が建設されている。
予想以上に時間を取ったため、夜になってしまった。インシャアッラー(神にかけて)、私の任務は日本に無事帰って、この事実を伝えることだ。さぁスレイマニアまであの山道を突っ走るのだ。

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このページは、nishitaniが2007年10月22日 02:16に書いたブログ記事です。

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