華やかに復興する街の中で
3月19日は、スレイマニア市郊外にあるがんセンターを訪れた。3年前からこの町のがん患者、特に子どもたちを取材しているが、大雑把に言って患者は二通りに分かれている。
ハラブジャ出身者と、キルクークやバクーバから来たアラブ系の患者たちだ。
前者はおそらく1988年の化学兵器による影響で、後者は米軍の使用した劣化ウラン弾の影響だろうと考えられている。
入院している子どもたちの多くは、やはり急性白血病だった。抗がん剤の状況は、かなり改善されていて、病院内の薬局の棚に並んでいる薬の量と種類が増えている。クルド自治政府が予算をつけ始めたとのこと。
自治政府には、今後もたっぷりと石油収入が見込めるわけなので、こうした医療関係にもっともっと予算をつける必要がある。相変わらず、国連その他の人道支援機関は、この町がイラクであるとの理由で、まだ入っていない。これは避難民キャンプも同様だ。
がんセンター訪問後、新たにできたボーリングセンターを訪れた。イラクでボーリング?
そう、数少ない娯楽施設として1階がボーリング場、2階がゲームセンターになっている「複合娯楽施設」が誕生しているのだ。
仕事を終えたクルド人たちが、ボーリングにやって来る。まだ1ゲームが高価なので、順番に一人一投ずつ投げている。まだまだボーリングを知らない人が多いので、指に穴を入れずに、助走もつけずに、ただ投げている人が目立つ。
このボーリング場ではビールも販売されている。イスラム圏では公衆の面前で酒類を飲むことは禁じられている場合が多いが、ここスレイマニアは、イスラム色が薄いほうなのでオープンに飲めるのはうれしい。
2階のゲームコーナーには、日本や韓国の中古ゲーム機が並んでいる。パソコンによるインターネットのコーナーもあるので、中をのぞくと、「日本からか?珍しいね」とクリアーな英語。見れば20歳そこそこの青年だ。「ここできれいな英語をしゃべる人も珍しいよ」と言うと「俺はイギリスに8年間いたんだ」。
彼がなぜイギリスに住んでいたかと言うと、実は彼の左手。よくよく見れば義手である。1990年代にフセインが仕掛けた地雷で、左手を切断しているのだ。NGOの人道援助で、彼はイギリスに渡り、手術し、その後イギリスで学んで、こちらに戻ってきた。
「クルド人だからね。祖国に戻ってきたかったんだ」。
華やかなボーリング場とゲームセンター。一見、急速に復興しつつある街。しかしよく見ると、依然として多くの戦争被害者がいる。
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