今回の旅を振り返って

本日深夜便で帰国する。3月3日に日本を出国したときは、雪が舞うほど寒かったが、今では桜が近いという。ここドバイでは連日30度を越える蒸し暑さで、昨日は5つ星ホテルのプライベートビーチにもぐりこみ、ちゃっかりとプール三昧を決め込み、ペルシャ湾に沈む夕日を見てきた。

さて今回のイラク取材を締めくくるにあたって、前進面と課題面を整理しておきたい。
まずは、劣化ウラン弾によると思われる被害について、さらに認識が深まったということだ。とりわけ、アンマンでであったペニスのない子どもは衝撃的だった。彼はサマワの自衛隊基地から2㌔のところで出生した。ウランの粉末は風に乗って飛んでいく。自衛隊だけではなく、今後日本企業も、イラク南部の油田がらみで、進出していくだろう。きちんと医学的調査をして、将来に禍根を残さないようにするべきではないだろうか。
近い将来、イラク情勢が安定すれば、おそらく商社マンや、NGO関係者、JICAなどが入っていくだろう。飛んでくる弾なら避けるすべもあるが、飛沫になって漂うウラン粒子を吸い込まない方法はない。
バグダッドから逃げてきた子どもが2人とも、生まれつき直腸肥大で、人工肛門をつけていたのにも驚いた。遺伝子異常としか言いようがない。父親は「もうイラクでは子どもを生んではいけないんだ」と語っていたのが印象的だった。

次に、「米軍は神経ガスを使ったのではないか」という疑惑である。劣化ウラン弾を通常兵器と言い張る米軍なので、決して認めないだろうが、「状況証拠は限りなく真っ黒」である。空爆後に、だんだんと神経が麻痺して、重度の障害を抱えるようになった人が多数出ているのは、爆弾との因果関係を疑わざるをえない。原爆投下直後の情報を一切隠蔽し、ベトナムでは枯葉剤を使い、イラクでは劣化ウラン弾、クラスター爆弾を使い続けた国であるから、「新型神経兵器」を使ったとしても、それは「従来どおりの方針」なのかもしれない。
日本人、ベトナム人、イラク人は全て有色人種であって、アメリカの中に「これらの人種には使用しても仕方がない」と考えているグループが存在するのかもしれない。

そして難民の現況である。ブッシュ大統領は「イラクの治安は大幅に改善した」と胸を張った。では、なぜ難民、避難民ともに、その数が増えているのか?テント生活の避難民たちは一刻も早くテントから元の家に帰りたいと考えているはずだ。それなのに、テントが作られ続け、2年以上も不自由な生活が続いているのはなぜだ?
治安は回復していないのである。例えばバグダッドでは、シーア派は東へ逃げ、スンニ派は西へ逃げた。混住する地域から、いわゆる「民族浄化」に近いものが行われ、直接的な殺戮行為が減っただけで、互いの憎しみは深いままなのだ。
通訳モハンマドに、「今バグダッドに帰ったらどうなる?」と聞くと、シーアの民兵に見つかったらすぐに殺されるよ、と答えた。彼のおじは「オマル」という名前のIDカードを持っているだけで殺された。「オマル」という名前は100%スンニ派だからだ。

最後に5年目の3月20日をイラクで迎えることができたのは幸いだった。イラクは今や3つの国に分かれてしまったといって過言ではない。北部クルド地域では、20日はちょうどノールーズという新年祭に当たった。イスラムは太陰暦なので偶然にも祝いの日と侵略開始日が重なったのだ。何十万人というクルド人たちが街に出て新年を祝った。一方アラブ人たちはこの日を歯ぎしりして迎えた。確かにサダム・フセインは倒されたが、その結果、残ったのは、分裂と恐怖、嫉妬、そして底が見えないほど深まった憎しみである。

ここドバイでは、今日も出稼ぎ労働者が高層ビルを建築し、街路ではごみを収集している。アラブの富豪たちは、冷房の利いた部屋で株式や原油の動向を調査しながら、投資対象を探している。
新自由主義と戦争。強者はますます強くなり、弱者はさらに切り捨てられる。
これを理不尽だと思って闘うか、それともあきらめてしまうか。私たちは今、その岐路に立たされている。

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このページは、nishitaniが2008年3月25日 17:17に書いたブログ記事です。

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