ロロゴ難民キャンプを取材

ハルツームに帰ってきて2日目。首都は平穏で人々も親切。日中は40度近くまで気温が上がるので、水分補給を欠かせない。ここではネットができるのがうれしいが、アルコールは絶対に飲めない非常に不便な国だ。以下は、一昨日の取材。

6月6日、今日はジュバで活動するJVC(日本国際ボランティアセンター)を取材。ここジュバでは悪路のため、さすがトヨタのランドクルーザーでもよく故障する。JVCは自動車の修理工場を運営し、現地スーダン人に技術を教えながら、毎月40台ほどの自動車を修理・改修している。
ここで働く30人ほどのスーダン人は全て帰還民。それぞれウガンダやケニアなどからスーダンに戻ってきた若者たちだ。修理する車の多くは、UNHCRのものであったり、他のNGOの車であったりする。
ピースウインズジャパンの車がやってきた。雨季になったので、ランドクルーザーの運転席付近まで水に漬かってしまった、とのこと。
昨日のニムレで道がところどころ巨大な水溜り、小さな池になっていたのを思い出す。

JVCを後にして、ジュバのウェイステーションを再訪する。一昨日300人ほどの帰還民が帰ってきたが、多くはすでに故郷へ向けて旅立ったようで、いまだに残っているのは数十家族ほど。この人たちも数日で故郷に戻れる日がやってくる。
戻ること自体は大変うれしいことなのだが、実は多くの場所で、難民と帰還民の「逆転現象」が起こっている。つまり、ウガンダに逃げた難民は、国連その他が援助して、学校にも通えるし、食料にも不自由しない。
しかしスーダンに帰還した人々は、故郷の家を焼かれ、学校もなく、電気もきれいな水も供給されない地域が多い。
これではせっかくスーダンに帰ってきたのに、ウガンダで難民生活を送るほうがマシだ、ということになってしまう。20年もの長きにわたって内戦を繰り広げてきた南部スーダンであるから、社会的インフラを整えていくのはこれから。しかし事態は急を要する。どんどん難民が帰ってきていて、昨年25万人の人口であったジュバが、今年は50万人を越えて倍増している。道路を整備し、学校を作り、医療機関を充実させる。この地域では、今が日本の出番であろう。

次にジュバ郊外にあるロロゴ難民キャンプを訪れた。ここは帰還民ではなく、エチオピアから逃げてきた難民たちのキャンプ。エチオピアでも激しい内戦の末、多くの難民が発生している。スーダン内戦がとりあえず停戦したので、3年前からエチオピア人がここへ避難しはじめたのだ。
かくして南部スーダンでは、他国へ逃げざるを得なかった8万人もの難民を生み出しながら、一方で他国から難民を受け入れている複雑な地域となった。

ロロゴ難民キャンプのエチオピア難民たちの話によると、政府軍が村を襲ってきて、大量虐殺があったようだ。ここからエチオピア国境までかなりの距離であるが、「3ヶ月かけて歩いてきた」と小さな子どもを抱えた母親。スーダンが平和になったと聞いてやってきた。このキャンプができたのは2004年。子どもたちは学校に通えていないし、電気もきれいな水もない。南部スーダン政府にとっては、自国の帰還民への福祉医療も整備できていない中で、エチオピア難民にまで手が回らないのだろう。ここにはUNHCRとWFPが入っている。唯一の頼りは、国際的な援助だけである。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: ロロゴ難民キャンプを取材

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.nowiraq.com/mt/mt-tb.cgi/171

コメントする

このブログ記事について

このページは、nishitaniが2008年6月 9日 00:48に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「スーダン、ウガンダ国境の町、ニムレへ飛ぶ」です。

次のブログ記事は「JICAのスーダン事務所と病院を訪問」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01