ハルツーム、瓦礫と化した「化学薬品」工場

6月9日夕刻に、ハルツームのシナ・化学薬品工場を訪れた。ここは1998年にアメリカによるトマホークミサイルで徹底的に破壊されたところ。98年はビンラディンのアルカイダグループによって、ケニアとタンザニアの米大使館が自爆テロで襲われ、数百人の死者を出した年。アルカイダが一躍悪名高くなっていく過程の事件だ。
実は96年まで、ビンラディンはこのスーダン・ハルツームに匿われていた。スーダン政府がイスラム原理に近いので、ビンラディンを受け入れざるを得なかったのだと思う。

ビンラディンとの関係を疑ったアメリカ、ハルツームの工場で化学兵器を作っているのでは?と、この工場を破壊したのだ。この攻撃には、多分に「報復」の意味がこめられている。しかし狙い撃ちされた、シナ化学薬品工場は、単なる化学薬品を調合するだけの工場だった。

現場は当時のままに残されている。数発のトマホークが、ピンポイントであたっている。トマホークははるかかなた、紅海上の艦船から撃たれたもの。瓦礫と化した工場の正門には、なぜかスーダン人がいて、「ここを撮影しては問題だ」などと言う。たまに私のようなジャーナリストが来るので、何か言って金をせしめようという魂胆だ。10ポンド(約400円)渡して、中へ入る。無残にも破壊された工場の瓦礫の中に、「普通の」薬瓶が転がっている。ここが化学兵器製造工場でないことなどは、CIAなら知っていたのではないかと思われるが、アメリカはミサイルを撃ち込んだ。「テロとの戦い」の走りのような事件だ。

いきなりミサイルを撃ち込まれたスーダン政府の面目は丸つぶれであっただろうが、その後、スーダン政府は明確にこの事件を非難していない。しかし、現場をそのままに残しておくことで、「無言の抗議」をしているのかもしれない。
もしスーダン政府がビンラディンを追い出さなかったら、9・11後、すぐに戦争になったのは、このハルツームであっただろう。ビンラディンはスーダンから追い出され、アフガン・タリバンの元に匿われた。歴史の運命を、少しだけ感じる。

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このページは、nishitaniが2008年6月10日 19:33に書いたブログ記事です。

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