「監獄都市」バグダッドを行く

茶色い大地を飛行機が滑り降りてゆく。私たちを乗せた飛行機は「普通に」着陸した。3年前の05年11月29日、バグダッド空港へは、上空からの「きりもみ着陸」だった。あの頃は武装勢力のロケット弾攻撃があるので、飛行機は上空から旋回して着陸していたのだ。今は治安が改善されたのだろう、「普通に」着陸したので、安堵とともに少し拍子抜けする。

入国審査のカウンターにはインド系労働者の群れ。民間軍事会社に雇われた戦争の「後方支援部隊」なのかイラク復興費で雇われた「建設労働者」なのか、おそらくそのどちらかだ。

3年前はこの場所で「日本人の入国は認められない」「なぜだ?」「お前たちの政府からの命令だ」とやり取りして、結局入国が認められずアンマンまで強制送還されたのだが、今回はすんなり通過。これで念願のバグダッドの地を踏むことができる。

空港を出るとPUK(クルド愛国者同盟)のメンバーが待っている。3人の兵士が護衛につく。空港を出てバグダッド市内へと向かう。いきなり異常な数の戦車と兵士がお出迎え。イラク国防軍のチェックポイントが何重にも連なる。車内から隠し撮りするが、「ここでは撮影するな!」と兵士の一喝。
「悪い悪い」と謝りつつ、この光景を撮らないと何のためにバグダッドまで来たのかわからない。兵士の注意をかいくぐって、何とか外の風景をカメラに収める。
空を見上げれば飛行船。

「あれは何だ?」と聞くと、「米軍の監視だ」。あまりにもテロが多発するので、米軍は「住民監視飛行船」を飛ばしているのだ。知らなかった。
空港を出るまでに10箇所以上のチャックポイント。そのたびに、緊張しつつビデオカメラを隠す。
空港を出て一般国道を走る。03年の空爆で破壊された「サダムタワー」が見えてくる。懐かしい。4年前はあのタワーの下で通行人にインタビューできたのだが。

バグダッドの街は、様相が一変していた。一言で言えば「コンクリートに囲まれた監獄都市」である。メーンストリートの両サイドは、高さ2メートルほどの壁で覆われている。
シルクロードの中心、2千年の歴史を持つ都が「壁の街」に変えられてしまったのが悲しい。人々は壁の前を黙々と通行する。戦車が通っても、ヘリが上空を旋回しても、パトカーがサイレンを鳴らして通過していっても、ただ黙々と歩いている。この異常事態に慣れてしまって、ただ黙々と生活を続けているその姿は、まるで修行僧のようだ。

バグダッドの交通信号はいまだに点灯していない。電力不足が一番の原因。それと信号を点灯させても、異常事態が発生するので、守る人が少なく、あまり意味がないからだとも言える。
よって信号のない交差点では渋滞するし、チャックポイントでまた渋滞。たまに米軍が通行するときは、周囲数百メートルにわたって交通規制するから、またまた渋滞。人々はあきらめきっているのか、ただ黙々と、渋滞が緩和するまで待っている。4年前よりメーンストリートの通行人が多いのは、「車で行くより歩いたほうが早い」からでもある。

私を乗せたランドクルーザーは、護衛の兵士たちが強引に道を空けさせて通行するので、渋滞の車を尻目におよそ一時間でPUKバグダッド本部。PUKバグダッド本部もまた、テロリストの襲撃を恐れてコンクリートの壁で囲われている。ランドクルーザーが本部に進入。ここで初めて兵士たちが笑顔に。「ようこそバグダッドへ、アハラン・ワ・サハランン」。
こうして08年10月11日午後12時半、何とか無事にバグダッドの街にたどり着いたのだった。

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このページは、nishitaniが2008年10月14日 06:35に書いたブログ記事です。

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