激戦地 モスルをめざす

「このカラシニコフで奴を撃つんだ。さぁ、早くしろ」民兵に促されて、銃を構える。ファインダーには飲み仲間のS君の顔。こいつを、俺は撃ち殺さねばならないのか…。引き金を引こうとするが、指が凍りつく。「だめだ、できません」。カラシニコフ銃を民兵に返そうとすると、「裏切りやがったな。死ぬべきはお前だ!」叫んだかと思うと、銃弾が私の下腹部に。「やられた!」崩れ落ちる私の体を民兵が担ぎ上げ、穴の中に投げ入れる。あぁ、俺はこの穴の底で白骨になってしまうのか…。

悪い夢を見た。時計を見れば午前4時。シャツは寝汗でびっしょりと濡れている。やはり緊張しているのか。
本日は10月15日。今日から激戦地モスルへ潜入する。モスルは今やバグダッドより危険な街で、米軍の空爆が連続的に行われているし、アルカイダもモスルに集まってきている。人口300万人の、イラク第3の大都市であるが、市内中心部は100メートルごとにチェックポイントがあり、地元住民もめったなことでは出歩かない「ゴーストタウン」と化した街である。
スレイマニアからタクシーでアルビルという街に入り、そこからモスルを目指す。アルビル~モスルの「国境」を越えれば、注意が必要だ。アルビル側は治安が安定しているが、モスル側は何が起こっても不思議ではない。
「国境」ではサファーンが待っている。彼は「モスル子ども病院」で働くエンジニアで、がんの子どもや両親を失った子どもの支援活動を続けている。何とか「国境」を越えてサファーンに会わないと、恐ろしくてモスルには入れない。

スレイマニアで拾ったタクシーの運転手は、英語は話せるがアラビア語はしゃべれない。ここクルドでは年配の人はアラビア語をしゃべるが、若者はしゃべれない。フセイン時代までは「アラブ化政策」で、アラビア語が必修であったが、湾岸戦争後はクルド語が公用語になり、若者たちはアラビア語を話す必要がなくなったからだ。一方サファーンはアラブ人なのでクルド語がしゃべれない。「国境」のどのあたりで待つのか、「国境」まではどのようにしていくのか、私の携帯電話を使って、互いに不自由な英語でやりとり。
スレイマニアからキルクークまでが約80キロで一時間。キルクークからアルビルまでが約100キロで、道路も悪くて一時間半。そしてアルビルから「国境」まではわずか30分。

「国境」が見えてきた。同じ国だがパスポートチェックなどが行われている。「国境」のゲートは、私には「地獄への門」に見える。30分ほどで「国境」を通過。無事サファーンと再会。サファーンはアラブ人なのでアルビルには入れない。クルドの首都アルビルは、アラブ人の「入国」を厳しく制限している。
「奴らはアラブ人すべてがテロリストだと思っているのさ」サファーンが苦笑する。サファーンの車でハムダニーヤという街へ。ここはイラクでは珍しいキリスト教徒の町。

10月10日からモスルでは「キリスト教徒の虐殺」が始まって、多くのクリスチャンがこの町に逃げ込んでいる。ハムダニーヤの小学校へ。モスルほどではないが、この町にも数キロ毎にチェックポイントが。検問しているのはクルドの「ペシャマルガ兵」だ。バグダッドほどではないが、町の様子は車内から隠し撮りしなければならない。

小学校にはイラクの国旗とクルドの国旗が並んではためいている。アラブとクルドが「領土争い」をしているのだ。ハムダニーヤはモスルから東へ30キロ。住民はアラブ系が多数だが、03年のフセイン崩壊後、クルド人が流入して、今度は逆に「クルド化」させようとしている。ハムダニーヤはそんな「微妙な位置」に存在する。
さて小学校に入ってみよう。

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このページは、nishitaniが2008年10月19日 00:44に書いたブログ記事です。

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