激戦地 モスルをめざす ②

小学校は男の子ばかり。イスラム国家では、小学校から男女別だ。平屋建ての校舎に教室が6つ。それぞれの学年にアラビア語で少しだけあいさつ。その後「この中で、戦争で両親を失った子どもがいれば、立ってください」と質問。
サファーンが質問をアラビア語に通訳して尋ねると、わらわらと子どもたちが立ち上がる。

「米軍の空爆で…」「自爆テロに巻き込まれて…」。この小学校では約60%が地元の子どもで、40%がモスル市内中心部からの避難民だ。立ち上がったのはモスルからの子どもたち。
校舎の裏でサファーンに1000ドルを手渡す。後日、サファーンはモスルから逃げてきた子どもたちに、学用品を配ってくれた。

小学校を後に、ハムダニーヤ総合病院へと向かう。病院案での道のりに、クルド軍のチェックポイント。
「なぜ日本人が乗っている?」「そのカメラで何を撮影した?」と執拗な質問攻めに。ここハムダニーヤはアラブ地域であるが、警察と軍はクルドが握っている。

実は10月10日にモスル市内で大規模な「キリスト教虐殺事件」があり12人のクリスチャンが殺されたのだが、「犯人はペシャマルガ(クルド軍)だ」という説が根強い。「日本人が何か嗅ぎまわっている」とでも考えたのだろうか?
スレイマニアやバグダッドでは、ペシャマルガに護衛してもらったのだが、ここハムダニーヤではそのパシャマルガに注意が必要だ。

何とかクルドのチェックポイントを潜り抜け、病院へ。病院の門前には警備兵が数人いて、病院内に入ってしまえば安全上の問題はない。本日はこの病院に泊まることになる。
便宜を図ってくれた院長にお礼のあいさつ。院長自身もモスル市内の病院で働いていたが、暗殺の脅しを受けて、モスルから脱出。院長もクリスチャンだったので、この町に逃げてきた。「モスルは人口300万。しかし内戦状態で医師がいない。だからこの病院に患者が殺到する。私は毎日手術して、眠る暇もないほどだ」。

実際訪れた日も、院長はインタビューを終えると、すぐに患者の元へ帰っていった。イラクでは客人が来ると、ゆっくりとお茶を飲むのが普通であるが、この人は相当忙しいのだと感じた。

では、その院長たちが奮闘する病棟を回ってみよう。

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このページは、nishitaniが2008年10月20日 11:12に書いたブログ記事です。

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