激戦地 モスルをめざす ④

実は私にはモスル入りの秘策があった。「ハムダニーヤ病院」から救急車に乗り、サイレンを鳴らしながら「モスル子ども中央病院」に移送してもらうのだ。これならチェックポイントでばれないし、拉致されないだろう。

ハムダニーヤ総合病院の院長も、いったんは「救急車を用意する」と確約してくれた。しかし今回は状況が悪かった。10月10日(わずか5日前だ!)から始まった「キリスト教徒虐殺」事件で、モスルは戒厳令状態に入ってしまったのだ。

「ニシ、救急車も消防車も、すべて止められる可能性があるよ」とサファーン。外国人と分かれば、身代金目当ての誘拐犯たちが動き出す。「救急車ごと拉致」される可能性があるので、いったんは承諾してくれた院長も、「今回はやめておこう」ということになった。

「モスル子ども中央病院」は、まさにモスルの下町に建っており、地元住民でさえ、よほどの用事がない場合にしか出歩かない地区である。仕方がない、今回はあきらめよう。

モスル子ども中央病院は「壮絶な状況」になっている。毎日300人もの子どもたちが、通院してくる。米軍の空爆で片手を失った子ども、劣化ウラン弾の影響と思われるがんの子ども、クラスター爆弾の被害者…。「トゥーメニー(患者が多すぎる)」とサファーン。次回はこの「秘策」で、モスル市内入りを果たしたいものだ。
モスル市内入りをあきらめた私の元に、たくさんの患者がやって来る。

背中に大きな腫瘍があって、下半身不随の子ども。この症状は劣化ウラン弾被害に特有のもので、遺伝子異常のため、脊髄が普通に発達しなかったのだ。本来なら神経が脊髄の中をまっすぐに下半身まで通るべきところを、背中でストップし、それが腫瘍を形成している。彼の下半身は、おそらく一生動くことはない。バグダッドでも、ツワイサでも同じ症状の子どもを見た。

両足に義足をした青年。彼は羊飼いで、5年前17歳のとき草原に落ちている「不思議なもの」を見つけた。それは03年の空爆で、米軍がばら撒いたクラスター爆弾だった。「今まで見たことのなかった金属で、僕にはおもちゃに見えたんだ」。
彼と友人3人はその金属を手にとって遊んでいた。そして試しに、その金属片を地面に放り投げた時…。大爆発が起こった。他の3人は死んでしまった。彼だけが生き残ったが、両足は膝上切断。義足に松葉杖の生活が5年間続いている。

「化学兵器、劣化ウラン弾、空爆での被害。モスルには障害者が一杯だ。僕は障害者たちのリハビリセンターを作りたいんだ」サファーンが当面の目標を語る。
次回は、「秘策」を成功させ、モスル市内の人たちと会ってみたいものだ。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 激戦地 モスルをめざす ④

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.nowiraq.com/mt/mt-tb.cgi/195

コメントする

このブログ記事について

このページは、nishitaniが2008年10月21日 22:03に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「激戦地 モスルをめざす ③」です。

次のブログ記事は「激戦地 モスルをめざす ⑤」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01