2009年2月アーカイブ

ヒタチェ のストーブ ブログ用jpg.jpg 2月27日、「できの悪い(笑)」通訳のファラドーンと、カラア避難民キャンプへ。昨年毛布を全家庭に配っているので、「お前を覚えている」という人がたくさんいて、話が順調に進む。 いくつかのテントを訪ね。今何が必要かを調査。答えはWC、つまりトイレであった。飲料水は週に何回か給水タンクが来て、配給されるが、ここには下水がなく、汲み取り式のトイレが一箇所のみ。人々は外で用を足している。

さすがに下水システムは援助できないので、その次に必要なものは?という問いに、「扇風機」。現在は短い冬であるが、すぐに酷暑の夏がやってくる。40度を越えるイラクで、扇風機なしに夏を過ごすのは困難だ。

キャンプを後に、スレイマニアの電気屋街へ。本日は金曜日なので、多くの店が閉まっていたのだが、中には商売熱心な電気屋もあって、数箇所営業している。
何店かで値段交渉。「TOUSEBA」(東芝?)なる縦型の扇風機に決める。ファラドーンは「トーセバ、ジャパン!」と喜んでいる。一台35ドルなり。「ちょっと高いのでは?」と交渉するも、「日本製だぜ。35ドルなら安いよ」と店主。「いや、これはおそらく中国製だ」と交渉するも、これらの製品には、堂々と「JAPAN」と書いてあり、35ドル以下には値切れなかった。(写真は「ヒタチェ」のストーブ)

まぁ、JAPANと書いてあるほうが、「日本からの援助だ」と分かりやすいので、結局このTOUSEBAなる扇風機に決める。

合計70台。昨年訪問したときは、100家族だったが、30家族が故郷に帰還できたのだろう。イラク情勢が徐々に落ち着きつつあることが分かる。
明日は、この扇風機を配ることになる。

昨日に続き、スレイマニアがんセンター。写真の子どもたちは、ともに白血病である。4歳と6歳。キルクークの出身。キルクークは優秀な油田があるために争いが絶えないところで、今回のイラク戦争だけではなく、サダム・フセインによって大量に銃弾が撃ち込まれた場所でもある。

米軍の使用した劣化ウラン弾による影響かもしれないし、フセインが使った化学兵器の影響かもしれない。あるいはそのいずれも、つまり「複合汚染」の可能性が一番高い。

昨日、この病院はずいぶんと施設が拡充されてきた、と書いたが、患者数に比べてベッド数が足りないので、1つのベッドに2人の子どもという状態である。

写真のような子どもたちが、この病院に、一日平均で100人やってくる。そして患者数は、年々増えているというのだ。

「異常事態進行中」。

国際社会がイラク戦争を忘れた頃に、赤ランプが点滅する。ウランによる放射線、重金属による化学汚染、そして毒ガス。
フセイン、ブッシュ両大統領が残したもの。それはじわじわと死に至る、「緩慢なる殺人装置」ではないだろうか。

昨日に続き、スレイマニアがんセンター。写真の子どもたちは、ともに白血病である。4歳と6歳。キルクークの出身。キルクークは優秀な油田があるために争いが絶えないところで、今回のイラク戦争だけではなく、サダム・フセインによって大量に銃弾が撃ち込まれた場所でもある。

米軍の使用した劣化ウラン弾による影響かもしれないし、フセインが使った化学兵器の影響かもしれない。あるいはそのいずれも、つまり「複合汚染」の可能性が一番高い。
昨日、「この病院はずいぶんと施設が拡充されてきた」と書いたが、患者数に比べてベッド数が足りないので、1つのベッドに2人の子どもという状態である。

写真のような子どもたちが、この病院に、一日平均で100人やってくる。そして患者数は、年々増えているというのだ。

「異常事態進行中」。

国際社会がイラク戦争を忘れた頃に、赤ランプが点滅する。ウランによる放射線、重金属による化学汚染、そして毒ガス。
フセイン、ブッシュ両大統領が残したもの。それはじわじわと死に至る、「緩慢なる殺人装置」ではないだろうか。

米軍の空爆で障害を負った子ども1 ブログ用.jpg 2月26日、本日は早朝からスレイマニアがん専門病院へ。案内してくれるのは「クルドの子どもを救う会」の現地人スタッフ。 この「クルドの子どもを救う会」は、クルド地域で一番大きなNGOで、5階建ての自前ビルを持ち、スタッフは100人以上。この地域で最も信頼されているNGOである。同じような名前の「イラクの子どもを救う会」は、日本の吹田という小さな町の、おんぼろアパートの一室を事務所にしている、しがないNGOである(苦笑)。名前は似ているが、実態はぜんぜん違うのである。

スレイマニアがん専門病院は、もう何回も訪れているのだが、訪問するたびに、患者と病室が増えているのが特徴。一昨年はがんの薬を届けたが、今ではクルド政府が予算をつけて、がんの薬を購入しているので、以前よりはかなりマシな状態になった。
しかしその薬の多くが「インド製」「トルコ製」なので、欲を言えば「日本製」「ドイツ製」のものがほしいとのことであった。

病室を回る。写真のイブラヒーム君は、実はがん患者ではない。頭に爆弾の破片が突き刺さっており、重度の障害児となった。

3年前、ティクリート市内の中学校から下校途中、米軍の空爆にやられたのだ。その空爆で5人の子どもが亡くなり、両足切断、片手切断の子どもたちとともに、イブラヒーム君は重度障害者となった。ティクリートといえば、フセインの出身地。米軍はイブラヒーム君たちを、「バース党の残党」などと誤認したのだろうか?
「この病院では治療ができません。どこか別の国へ連れて行って」と母親に懇願される。残酷なようだが、「別の国」に行っても、おそらく復活するのは難しいのでは、と感じる。

ベッドに横たわる彼は、もはやしゃべることができない。日本から持参した幼児向けのおもちゃを、そっとベッドに置く。ミッキーマウスだ。メードインUSA。彼の頭蓋に突き刺さった銃弾もメードインUSAだ。

ザイナブさん ブログ用.jpg 2月24日、今日はカラア避難民キャンプと、KORD(コード)というクルド人が運営するNGOを訪問した。カラア避難民キャンプは、やはり多数の避難民がテント生活を続けていた。

とある家族のテントに入って、「バグダッドには帰らないのか?」と尋ねたが、「まだまだバグダッドは恐ろしい。俺はシーアの民兵に襲われたんだ」。自らの恐怖体験を克服できず、何らかのトラウマになっているのかもしれない。しかしこのテント生活を始めてすでに4年が経過している。仮設住宅でも建ててあげないと、子どもたちの健康が心配だ。
昨年10月9日に毛布とクーラーボックスを配布したが、各家庭(各テント?)に、毛布とクーラーボックスがちゃんと残っていて、利用してくれているのが嬉しかった。


続いてKORDについて。ここは戦争などによって障害を負った人々のためのリハビリテーションセンターである。地雷や空爆で手足を失った人が、義足を求めてきたり、義足のある人は歩行練習を行ったりしているところである。

その中の一人、ザイナブさん(20歳)。美しい娘さんが、呆然と座っている。2003年12月、バグダッドの自宅が米軍に空爆された。「なぜ米軍があなたの家を?」「ミスミサイル」。つまり誤爆だ。テロリストの家と間違えて撃ってきたという。天井の下敷きになって両足を失う。母と叔母を亡くし、彼女は障害を負った。バグダッドでは満足な治療ができないので、意を決してスレイマニアまでやってきたのだ。

「将来はテニスプレイヤーになりたい、と言ってます」とは付き添いの兄。パラリンピックを見て、車椅子のテニスプレイヤーになりたいという。
「ソーリーレターが来ただけだ」。兄によると、米軍から「間違えました」と一通の手紙が来ただけ。「ごめん」と何万回謝られても、両足は戻らない。
インタビュー中、美しいザイナブさんは終始うつむき加減で、途中から自分では回答しなくなった。夢を持ち続けてリハビリに励んでいければいいのだが。


2月23日午後5時、モスル郊外のハムダニーヤを出発し、スレイマニアに到着。ハムダニーヤではインターネットができなかったので、このブログを更新することができなかった。
ご心配をおかけしたかもしれないが、スレイマニアについたのでしばらくは安全地帯だ。
で、モスルではどうだったかというと、前回同様、ハムダニーヤまでは入れたのだが、モスル市内に入ることはできなかった。

2月1日の地方議会選挙後、アラブとクルドの勢力争いが続き、治安が悪化しているのだ。
モスル中心部からハムダニーヤまでは、わずか30キロ足らず。車を飛ばせばわずか30分の距離なのだが、今回も断念せざるを得なかった。私にとっては短くて長い距離。
その代わりといっては何だが、モスル中央病院から院長がハムダニーヤまで来てくれた。

このブログで紹介しているように、コバルト照射機が壊れてしまい、がん患者はシリアまで治療に行かねばならない状態が続いている。
がん患者は毎日列をなしてやってきて、その数は増える一方だという。通訳のサウファンが私の代わりにモスル中央病院で取材中。その模様については、後日、私の元へビデオが届く予定だ。

モスルは依然としてイラクで最も危険な都市である。「戦争前、遺跡に囲まれたモスルは美しい街だった。米軍はほとんどすべてを破壊し、美しいモスルは今や見る影もない」モスル出身の運転手マージドがつぶやく。マージドはモスルの自宅を米軍に襲われ、刑務所で過ごした経験を持つ。テロリストの疑いを掛けられ、拷問された。モスルには住めなくなったので、ハムダニーヤに逃げてきたのだ。
米軍が空爆し、無実の人々を拘束すればするほど、テロが増える。モスルはシリアにもトルコにも近いので、諸外国から「ただ事態は複雑化させるためだけに」テロリストがやってくる。そしてモスルはどうなったか?

「疑心暗鬼の街」になった。だれがスパイか分からない。だれがどこで誰とつながっているのか?
医師でさえ命を狙われ、逃げていく。そんな中、健康を害した人々は、壊れた「コバルト照射機」の前に、列を作って待っているのだ。


2月20日、ドバイを後にしてアルビルへと向かう。アルビルはイラク北部、クルド自治区の首都というべき街で、ドバイから週に数便飛行機が飛んでいる。

ドバイ国際空港は最近建て増しをして、シンガポール航空やKLMなど主要な飛行機会社の便は、ターミナル1から飛ぶのだが、アルビルなどというマイナーなところへ飛ぶ便は、新しくできたターミナル2から飛ぶ。
「ターミナルを間違っても、少々歩けばたどりつけるだろう」などと日本人的発想で、離陸ぎりぎりに空港に着けば、大変なことになる。ターミナル1から2までタクシーで20分、途中大きな空港トンネルを通過してようやく2に着く。
ドバイ国際空港が巨大空港であることを、あらためて思い知らされる。

そんなことで、フライトぎりぎりに到着した私は、急いでチェックインするも、今度は飛行機が飛ばない。2時間遅れでようやく出発。
「本日は出発が遅れて申し訳ありません。プライベートな理由で2時間遅くなりました」と機長あいさつ。「プライベートな理由」っていったい何やねん、スチュワーデスのお姉さんととどこかへでも行っていたのか!と日本なら突込みが入るところであるが、こちらでは2時間遅れは当たり前。飛んだだけマシと思わねばいけない。

午後9時、アルビルに到着。日本人の私は、別室で訪問の目的などを聞かれるのかな、と考えていたのだが、「日本人だね、アルビルにようこそ」と、あっけないほど簡単に入国に成功。
イラク北部のクルド人地域は、今や、シリアやイスラエルよりも簡単に入れる国となっているのだ。(シリアでは2時間ほど、イスラエルでは6時間ほど国境で待たされた経験あり)

空港を出て白タクの運ちゃんと交渉し、安宿に向う。夜なのでアルビルの街の様子が分からない。白タクの運ちゃんは、携帯でなにやらしきりに話し込んでいる。
ふと、こいつが武装勢力の一味で、どこかのアジトに連れて行かれるとしたら、などと「ちょっと恐ろしい妄想」が頭をよぎるが、運ちゃんは約束どおり安宿に連れて行ってくれた。

さて、いよいよ明日からはアラブ人地域のモスルに出発する。
こちら側のアルビルが天国とすれば、向こう側のモスルは地獄。100キロほどしか離れていないのに、くっきりと「戦争と平和」に分断された国、イラク。
このブログもしばらくは更新できないかもしれない。明日からは有能な通訳サウファンと行動を共にする。さてどうなることやら。


2月19日早朝、無事ドバイに着いた。いつものようにドバイ中心部の安宿に宿泊。
こちらの新聞「ガルフニュース」に大きく中川財務相の「泥酔会見」が掲載されている。「世界第2位の経済大国日本が、いったい何をしているのだ」という論調。
衛星放送でBBCが流れていて、そこでも中川大臣の「泥酔会見」が特集されている。

日本では「ワインに口をつけた程度」などという本人の「釈明」が載っているが、こちらは「ドランクン」(泥酔)と決め付けて放送されている。

結構恥ずかしい事態になっている。世界では。

さて、時差ぼけ&睡眠不足ながら、さっそくドバイからイラク北部への乗り継ぎ便を探すため、ドバイ中心部の旅行社へ。
イラク北部、クルドの首都アルビルには結構飛んでいる。私が本拠地とするスレイマニアへの便があるか確認。
現在確認中で、インターネットカフェに飛び込んで、このブログを書いている。

できるだけ早くイラク入りしたいが、それも飛行機の乗り継ぎ次第だ。
さて、ドバイにはいつまで滞在しなければならないだろうか?

出発直前にご報告を一つ。このブログで呼びかけていた「ガザ基金」ですが、多くの方々から募金が集まり、合計23万円をヨルダン・アンマンのハーミドに送金いたしました。

彼はガザの友人を通じて、医薬品に換えて送ってくれました。募金いただいたみなさん、ありがとうございました。
今回の旅は、もちろんイラクが中心ですが、時間があればガザに入れるかもしれません。

明日からドバイ。ドバイでは高さ1000メートル、200階以上の「世界一のタワー」が建設中です。今の金融危機で、建設はどうなっているのでしょう。同じアラブ人で、一方は壁に囲まれた監獄のような場所で空爆され、もう一方は株式投資に一喜一憂する大金持ちたち。世の中何かが狂ってますね。

では行ってきます。

モスル中央病院の医師たち.jpg

明日、イラクへの出発を控えて、現地からメールが届いた。このメールは「救う会ニュース」09年2月号にも一部掲載しているが、ここで全文を紹介したい。一つは、イラク北部 モスル市のサウファンから。
写真はサウファンが勤めるモスル中央病院の医師と、足曲がりの子ども。

A)2009年1月18日 モスルのサウファンより
西谷さん、元気ですか?
私はモスル中央病院を訪問し、院長と話し合った。
彼は(がん?)患者が昨年より急増していると答えた。今度イラクに来たときは、院長とのインタビューが設定できると思う。
そして、日本の島津製作所かどこかが作った「コバルト照射機械」を調達できないだろうか?

B) 2009年2月4日 サウファンより
先日お知らせした古いコバルト照射機が、2~3週間前に壊れてしまった!!
今は患者たちは、シリアかヨルダンに行かねば治療を受けられない。
院長はどんなシステムでもいいから、これと同じ性能を持つ機械がほしいと言っている。もし高価であれば、中国製のものを買うつもりだ。
モスル訪問は大歓迎だ。今度来るときは、もう少し状況が良くなっていればいいのだが。
連絡を取り合って。
何か良いアイデアがあれば。
サウファン

続いて、イラク中部在住の ハッサンアボッドから。彼は州議会議員選挙に立候補し、今はその結果待ちだ。

2009年2月2日
西谷さん
気遣ってくれてありがとう。イラクを訪問中は、私はあなたを守るためにベストを尽くすだろう。なぜなら、あなたはイラクの戦争被害者の立場にいるし、イラク人たちはイラクの本当の姿を、もっと切実に伝えてほしいと思っているからだ。
先の議会選挙で、私は地元から多くの得票を得た。しかし他のイスラム政党に比べて、資金が足りなかったために、十分な選挙活動ができなかった。しかしまだ私は楽観的に状況を見ている。
というのは、私には「イラク人を救ってきた人物」という良い評判があり、バビロン市において、どこへ行っても「日本人がイラクを手助けしてくれる」と示してきた。そして多くの感謝の声を聞いた。
私は日本のみなさんが医薬品その他を援助してくれたことを決して忘れない。私たちイラク人がこのことについて、きっといつかお礼できる日が来るだろう。私たちは好意を決して無にしない。
友人よ、この感謝の気持ちを、ぜひ日本のみなさんに伝えてほしい。そしてもう一度日本でみなさんとお会いしたい、と。日本を再訪し、友人に再会できる日を夢見ている。
ハッサン・アボッド
イラクにて

さて、このモスルとヒッラに入ることができるか、いよいよ明日出発だ。