スレイマニアからバグダッドを経てヒッラへ

昨日、バグダッドから「朝日放送ムーブ!」に電話で生出演したが、やはりイラクの携帯は聞き取りにくく、言いたいことが伝わったかどうか…。

さて、まだ私はバグダッドにいる。これを書いている今も、上空では米軍のヘリが飛びまわり轟音を響かせている。
宿泊している「マンスールホテル」には無線ランがあって、部屋でインターネットができる。街のネットカフェには安全上行けないのだが、ホテルでブログを更新できるようになったのは嬉しいことだ。
で、この間の行動、つまり「どのようにバグダッドに入り、以下、どうしているのか」について、順次アップしていきたい。しかしイラクのネット環境は最悪。常に停電するし、米軍の意向で通信がカットされる場合もある。そんなことで、できる限り最新情報をアップしていくが、うまくいかない場合はご容赦願いたい。
で、一回目は3月2日の状況。スレイマニアからバグダッドを経て、ヒッラに入った。

3月2日(月)、2枚の顔写真とパスポートを持って、スレイマニア市役所へ。今日はここで「外国人登録」をする。なぜこのようなことをするかというと、バグダッドへ入るためである。
①私にはクルド政府のビザしかない。②バグダッドへ入るには、イラク中央政府(マリキ政権)のビザが必要。③そのビザは、なぜか日本人には出にくい。④そこで「スレイマニア住民」になれば、同じイラク国内なのでバグダッドにビザなしで入れる。
まぁこのような「裏の手」を使用した。つまり今回、私は「旅行者」ではなく「住民」としてバグダッドに入ったわけだ。

外国人登録の列に並んでいるのは、私以外、ほとんどが出稼ぎのイラン人かトルコ人。石油の出るクルドに、仕事を求めてやってきた人たちだ。
日本で外国人登録をする場合、指紋を押捺して外国人登録証を作ることになるのだが、ここイラクでは指紋の代わりに「エイズ検査」が必要。
フセイン時代、国民の間にエイズが蔓延することを恐れた政府は、ビザ発給の際などに「HIV陰性であること」を求めていて、その伝統がフセイン政権崩壊後も続いている。
はるか異国の地で、トルコ人やイラン人に混じって、血液検査を受ける。

わずかタタミ一畳ほどの薄暗い市役所の一室。「おいおい、その注射針は大丈夫なんやろな」。逆に変な病気をもらわないか心配になる。1万ディナール(約900円)を支払って、順番を待つ。私の直前で、ベテランの医師から見習い風の女性看護師に交代。見習い風女性看護師は、イラン親父の太い右腕に注射しては失敗している。
「おいおい、さっきのベテラン医師に交代してくれよ」。注射針を刺されては抜かれているイラン親父と目で合図。私の番が来た。「日本人?珍しいわね」ニッコリあいさつされるも、こちらはこわばった微笑を返すのみ。
イラン親父で慣れたのか、私は一回で無事検査終了。良かった、ちゃんと注射針が刺さってくれて!見に覚えはないのだが、ここで「陽性!」なんてことになると、2重の意味でショックだ。あぁ俺はエイズなのか!というショックと、バグダッドに入れないではないか!というショック。幸いにして陰性。(当たり前だが結果出るまで不安)煩雑な手続きを経て、晴れて外国人登録完了。
手続き完了が午後1時半、すぐに航空券を手配し、バグダッドへのフライトが午後4時。われながら素晴らしい早業で、バグダッドへの機上の人となる。

わずか一時間のフライトでバグダッド空港着。民間軍事会社に雇われたと見られるインド系労働者の群れが、防弾チョッキを着て、座っている。これから米軍基地ででも働くのだろうか?
空港を出てタクシーを捜す。一般の空港なら「タクシー乗り場」があって、「00ツアー」「××旅行社」の旗がはためいているところだが、ここは皆無。客は地元住民と民間軍事会社の社員と、私のような「ちょっといかれた」ジャーナリストだけ。地元住民は迎えの車が来ているし、民間軍事会社の社員は会社の車で目的地に向う。かくして私一人がぽつんと空港に残る。

誰もいなくなった空港ロビーで、さてどうしたものかと思案していると、やはり民間軍事会社に雇われたと見られる警備員が、「タクシーはない。こいつの車に乗れ」。聞けばこの警備員はコソボ出身。戦争に慣れているからここに来たのだろうか?
がらんとした空港に、居残っているのはコソボ出身の警備員に、素性の知れない白タクの運転手と私だけ。空港を出るには、こいつらに頼むしかない。
あまり大きな金額を提示すると金を持っていると思われるし、少なすぎると行ってくれないかもしれない。微妙な線で30ドルを提示。
白タク運転手はバグダッドの青年。空港を出て猛スピードですっ飛ばす。途中数か所の検問所をパスし、通訳のハッサンが待つビルまで無事到着。

「ニシタニさん、よく来たね。夜になったので心配したよ」。
ハッサンとその兄弟・友人、合計6人が車2台で待機してくれていた。前の車を護衛に使って、私は後ろに車に。一路、ハッサンの故郷、イラク中部の都市ヒッラを目指す。
「ヒッラまで20以上チョックポイントあるよ。ちょっと危険けど、大丈夫ね」。ハッサンが日本語で説明してくれる。ハッサンは岐阜大学の留学生だったので、少し日本語がしゃべれるのだ。

ヒッラまでの国道を飛ばす。途中、激戦地のラティフィーヤ、マフムディーヤを通過。橋田さん、小川さんが殺害された現場だ。漆黒の闇。電気が来ていないため、家があるのか森なのか分からない。(後日この現場を訪れることになる)
「ここ、ちょっと危険。電気ないでしょ」
のんびりした日本語とは裏腹に、緊張のチョックポイント。チェックポイント数十メートル前からヘッドライトを消灯し、ハザードランプを点灯させて、車内灯を点ける。チェックポイントで待つ兵士に「俺たちはテロリストではないですよ」と顔を認識させるのだ。
「サラームアレイクム」(こんばんは)と、車内全員が手を挙げてあいさつ。
「俺たちは味方だ」と表現しないと、面倒なことになる。
こうしたチェックポイントがマフムディーヤ付近だけで10数箇所。緊張のマフムディーヤを越えれば、あとのチェックポイントは、それぞれの街の入り口だけ。
午後8時過ぎ、ようやくハッサンの自宅に到着。前の車が先に門を開けて、私は車から降りずに自宅に入る。
「ニシタニさん来てるの、ヒミツね。安全、一番ね」。

ハッサンの自宅で歓迎会。遅い夕食を食べていたら、オギャー、オギャーと泣き声がする。
「えっハッサン、赤ちゃんいるの?」
「そう、結婚してね、12月に生まれました」
「イラク選挙に立候補したニュースは伝えてくれたのに、結婚して子どもまでできているなんてニュースは伝えてくれなかったやないの」
「すいません。ちょっと恥ずかしい、でした」
見れば元気そうな男の子。マブルーク!(おめでとう)。イラク激戦地訪問初日は、いろんな意味で祝いの会で始まったのだった。

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このページは、nishitaniが2009年3月 8日 02:15に書いたブログ記事です。

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