サマワへ入ろうとしたのだが…

サマワのチェックポイントで隠し撮りブログ用.jpg 写真はサマワのチョックポイントを隠し撮りしたもの。

3月3日午前5時、ハッサンの自宅を抜け出し2台の車でサマワへと向う。なぜこのような早朝から出発するかというと、①近所の人々に私の姿を見られたくない。②早朝はチョックポイントが甘い、からである。
ヒッラのチェックポイントは、ハッサンと警官が知り合い同士、難なく通過。
2時間ほどのドライブで、ディワニーヤ州の入口。ここにくるまでチェックポイントは20箇所ほど通過している。
しかしディワニーヤは様子が違う。数人の警官が車を取り囲み、
「何で日本人が乗っている」
「俺たちはサマワの病院を支援するためにやってきた。悪意はない」
「しかしビザがないじゃないか」
「いやビザではなく、スレイマニアで住民登録している。これを見ろ」
ちょっとした騒ぎとなった。イラクではよくあることだ。「しかしビザがないので上司に確認せねばならない」。警官数人とハッサンが、チェックポイントそばの事務所へ。

待つこと30分、やがてこの地区の責任者とハッサンが現れ、「すまなかった。ディワニーヤへようこそ。日本人、ウエルカムだ」。地区責任者と堅く握手。サマワだけでなく、ディワニーヤにも泊まっていってくれ、とまで言われる始末。
サマワはかつてディワニーヤ州の一部だった。近年になって分離し、サマワ州となった。つまりサマワまでもうすぐ、あと一時間ほどのところ。
巨大な米軍基地が現れた。「ディワニーヤ米軍基地」とハッサン。当然チェックポイントが数箇所あり、そのたびに車を止められ検査を受けるが、すべてパス。米軍基地の上空を無人の飛行船が飛んでいる。バグダッドでも見たが、米軍はこの無人飛行船で24時間市民生活を監視している。

午前9時、いよいよサマワへの入口。「サラームアライクム(おはよう)」これまでのように通過しようとすると、
「日本人だな。通行許可証は?」
「通行許可?そんなものは要らないはずだ」
「何をしにきた」
「病院視察と援助物資の配布だ」
「お前たちは政府に反対の立場か?賛成の立場か?」
「いや、政治的なものではない。人道支援だ」
やはりちょっとした騒ぎになった。ハッサンと2人でしばらく尋問を受けるが、結局サマワ警察本部まで連行されることになった。

サマワ警察本部はユーフラテス川を渡った街の南側、繁華街を越えたところにある。
取調室で2人の警官が繰り返し、訪問の目的をたずねては、なにやら携帯で電話をかけている。その間約一時間。
やがて「大変残念だが、お前たちをサマワに入れることはできない。さっきのチェックポイントまで戻ってもらう」。
えっ何で?ハッサンが猛烈にアラビア語で抗議している。しかし決定は覆らない。
「特別の許可証が必要だ」の一点張り。もし無視して入ったら監獄行きだ、とも。

後日、私はサマワより激戦地であるカルバラ、マフムディーヤにも入ることができたのだが、なぜかサマワだけは入れない。「特別許可証をどこで取ればいいのか」についても回答がない。なにしろ「許可証が必要」なのだ。
おそらく「許可証」はイラク政府内務省が出すのだろう。「許可証」を求めに行けば、内務省は日本のしかるべき公的機関(つまり政府)の推薦状を求めるだろう。
政府(イラク?日本?)のお墨付きを得た人物しか、サマワを訪問できない。
今回の旅で、入れなかった都市はこのサマワとファルージャ、モスルだけ。ファルージャ、モスルは文句なく危険なので、安全上無理である。サマワは「安全とは別の理由で」入市困難都市なのだ。

イラク戦争から6年目。この6年を総括する一つに、「日本の支援はいかにあるべきか」を検証することが欠かせない。サマワ警察の人々は、口々に「日本が好きだ」「自衛隊は良くやってくれた」と証言する。ならば、なぜ入れない?
見せたくないもの、があるのだろうか?サマワ警察だけ「特別に警戒心の強い」警察なのだろうか?
イラクには自衛隊を評価する人もいれば、否定する人もいる。評価する人に尋ねる。「あなたはなぜ日本軍(自衛隊といっても理解しない)が好きなの?」
「日本軍は誰も殺さなかったじゃないか、素晴らしいことだよ」。
つまり「米軍やイギリス軍に比べて殺さなかったからマシ」という評価なのだ。
日本の平和憲法の制約があり、自衛隊が直接戦闘行為を行わなかったからこそ、勝ち取れた評価。あらためて9条の値打ちを感じるのは私だけだろうか?
それにしても「殺さなかったからグッド」ということは、裏を返すと、それだけ米英軍の殺人行為がひどかったということだ。イラクでは「殺さなかった」という当たり前のことが評価の対象になるのだ。

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このページは、nishitaniが2009年3月 8日 13:59に書いたブログ記事です。

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