ヒッラとカルバラの病院を訪問

3月4日、やはり早朝6時にハッサンの自宅を出て、ヒッラ市中心部にあるデモクラティック・ソサエティ・アクティビティース、日本語にするなら「社会民主運動」という名前の政党事務所へ。実はハッサンはこの政党からイラク地方議会選挙に立候補した。
結果は?残念ながら落選だった。

私たちはたくさん得票しました。でも落選。フェイクされたよ」。英語交じりの日本語でフェイク、つまり選挙結果について不正が行われたとハッサンは言うのだが、果たして…。
イラクの選挙は個人を選ぶのではなく、政党を選ぶ。そしてその政党の候補者名簿一位から得票に応じて順次当選者が決定する。

ハッサンは「社会民主運動」党の、順位一位の候補者だった。日本とのつながりがあり、日本からの支援を、貧しい人々に分配してきた実績が、順位一位に押し上げたようだ。
「社会民主運動」ヒッラ本部責任者の、アブサラ氏が敗戦の弁を語る。
「私たちはこの選挙に取り組むのが遅かった。資金も少なく、選挙宣伝も十分できなかった。しかし私たちは貧しい人々を救済してきた。ヒッラ市ではかなりの支持を広げた。しかし他のイスラム政党に勝つには至らなかった。次回(4年後)奮闘したい」。

日本で言えばハッサンは「無所属市民派」だったわけだ。この選挙で勝利したのは、1位はマリキ首相のグループ。2位はハキーム氏率いるイランの影響を受けたシーア派グループ。3位は反米強硬派で有名なモクタダ・サダル氏のグループだった。
日本でもそうだが、イラクでも「組織が強力な」政党が勝利したといえる。

さて、そのアブサラ氏の紹介でヒッラ女性子ども病院へ。ここヒッラでもがん患者が急増している。また原因不明の「今まで見たことのない」ような症例の子どもも多くいるという。「ぜひ、その子どもたちを撮影させてほしい」と依頼するが、この病院には放射線治療ができる機械がないので、それらの「アブノーマルな」子どもたちはバグダッドの病院へ行くそうだ。
2003年バグダッドの「核・放射線病院」で出会った、首が異常に膨れ上がった9歳の少年を思い出す。彼はこのヒッラ出身だった。

午後からは、かつての激戦地カルバラをめざす。カルバラのチェックポイントは難なく通過。止められるのはサマワだけ。
カルバラ子ども病院へ。医師は、この数年異常にがん患者が増えている、と言うが、やはりカルバラにもがん治療できる医療器械がなく、子どもたちはバスラかバグダッドの病院で入院している。
「カルバラは米軍のすさまじい空爆を受けた。戦争後、急激にがん患者が増えた」とはカルバラ子ども病院の医師。
証言を得ることができても、肝心の患者がいない。バグダッドの病院で取材するしかないのだろう。

カルバラからの帰路、ユーフラテス川のほとりにかつてのフセインの宮殿が建っている。ここは米軍の空爆を免れ、今は難民が住み着いている。宮殿のそばには、かつてフセインに仕えた人々の「社宅」があり、今やその「社宅」にも難民が住んでいる。「社宅」といってもユーフラテス川沿いに建てられた掘っ立て小屋だが。
「社宅」に住み着いたハリルさんにインタビュー。
「フセイン時代はヒッラ市の安アパートに住んでいた。ここなら家賃が要らないのでフセイン崩壊後の2003年に移り住んだんだ」

ハリルさんは、イランイラク戦争の際、フセインの兵士として戦った。その時イラン側からの銃撃で足を負傷した。
2006年には米兵の狙撃を受け、銃弾が彼の肩を貫通した。2度の銃撃を受けながらも彼は歩行障害もなく元気に生活している。身体は大丈夫なのだが、仕事がない。イラク政府から、「この社宅から出て行くように」との勧告を受けている。しかしお金がないので住むところがない。4人の子どもを抱えるハリルさん。電気もきれいな水も不足しているが仕事がないというのが一番の悩みの種だ。

本日もかなりの距離を移動したが、無事ハッサンの自宅に帰りついた。夕食中、停電。真っ暗な部屋での食事。イラクではこのような生活が6年も続いている。

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このページは、nishitaniが2009年3月 9日 04:55に書いたブログ記事です。

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