橋田さん、小川さんの殺害現場を訪ねる 合掌

ヒッラからバグダッドまでの国道を飛ばす。運転手はハッサンの弟ムハンマド。助手席には「社会民主活動党」ヒッラ責任者のアブサラ、後部座席にハッサンといとこのフセイン、そして私の5人。私たちは全員丸腰なので、できるだけ多くのメンバーが私を囲むようにして、目立たなくしてくれている。

ヒッラを出て2時間が経過。急に検問所の数が増えはじめ、警官と軍人の姿が目立つ。
「ラティフィーヤ」。いつもはのんきなハッサンの声も、少し緊張気味。車内からイラク軍の戦車を隠し撮り。
「ニシタニさん、ダメね。ここはカメラノー」。ハッサンが叫び、アブサラがカメラを下ろせ、とジェスチャー。
国道がコンクリートの壁で遮断され、軍と警察が一台一台車をチェックしていく。

私には一つ気がかりなことがあった。橋田さん殺害現場に花を手向けたいのだ。さっきから国道沿いの花屋を探しているのだが、イラクでは花を売る店は少ない。
ラティフィーヤの検問を過ぎると、小さな商店街が国道沿いに広がっている。
「ハッサン、ここで止まって!あそこで果物を買う」
「ダメダメ。車を止めれば危ないよ」
「いや、花か果物が必要。大丈夫、すぐにすませるから」
とは言ったものの、少し不安。車から降りて買い物をすれば「日本人が乗っている」ということがばれてしまう。しかし不安だが、確信もあった。「イラク人は、もう日本人を狙わないだろう」という確信が。

商店街の前で車を止める。
「ヤッラ、ヤッラ」(早く早く)
小走りに店の前まで進み、店頭に並んでいるみかんを購入。慌て過ぎると逆に不審者と思われるので、急ぎながらも「サラームアライクム」(こんにちは)とあいさつ。
「アライクムサラーム」店番の少年は笑顔で応えてくれる。
よし、みかんをゲットした。あとは数箇所の検問所を無事越えれば現場に到着する。

ラティフィーヤを抜ければすぐにマフムディーヤだ。マフムディーヤの検問を抜けると…。

「ニシタニさん、あそこ、ジャパニーズが殺されたところ」。
現場は白い壁が数十メートル続く、国道筋の商店街だった。
障害物がほとんどない一本道。橋田さんたちの乗ったGMCは、明らかに遠くからでも現認できただろう。
ここなら確実にヒットできる。犯人たちは、この白い門の後ろに隠れていたのだろうか?
車を止めて、商店街の白い門の前にみかんを供える。

しばし黙祷。ご冥福を祈る。

橋田さんたちは、クラスター爆弾で負傷した少年を救おうとしていた。生きておられたら、今頃、そんなイラクの子どもたちの写真集などを出されていたかもしれない。私たちは貴重なジャーナリストを失った。

なぜ武装勢力は2人を襲ったのだろう?米軍の関係者と間違えたのか?
「ハッサン、なぜマフムディーヤの武装勢力は、罪なき日本人を殺害したの?」
「あの頃は誰もがターゲットになっていました。米軍と間違ったのではありません。はじめから外国人を狙っていたのです」。
これはあくまでもハッサンの意見。実はハッサン自身も、もう少し先のユースフィーヤという町で一度身柄を拘束され、2週間ほど監禁されている。
さすがにこの「白い商店街」でインタビューするのは恐怖を感じたので、マフムディーヤを出て、ユースフィーヤの商店街でタイヤ屋の親父にインタビュー。

「日本人2人が殺された事件、覚えてますか?」
「もちろん。あの頃から地元では『なぜ日本人を狙ったんだ』という批判の声が上がっていた。狙うならアメリカ人だよ」
「殺害現場付近の治安は?
「そうだね。2年前は最悪だったが、だんだん良くなっているよ」

橋田さん、小川さんが殺害されて、もうすぐ5年。人々の記憶はだんだんと薄れ、あれほど大きく報道されたイラク戦争も、今ではべた記事扱いだ。
でも私たちは決して忘れてはいけない。この戦争で、イラク人はおそらく100万人以上、米兵は4千人以上、そして5人の日本人が殺されたということを。

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このページは、nishitaniが2009年3月10日 01:13に書いたブログ記事です。

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