バグダッドに居残る

空港にて ハッサンたちと ブログ用.jpg写真は、左からハッサン、フセイン、モハンマド、アブサラ。バグダッド空港に至る駐車場にて

3月6日、バグダッドのチグリス川に面した「マンスールホテル」の朝。ホテルからの眺めは素晴らしい。チグリス川の対岸には有名なフセイン像が倒されたフィロードス広場があるし、繁華街のカラダ地区付近には背の高いビルが目立つ。しかしこの眺めは「日中のみ」。
電気が来ていないので、夜景は楽しめない。
アブサラはシーア派ムクタダサドル師の幹部に顔が利くので、少々危険だが、午前中はサドルシティーを訪問する。
5年前ここを訪問したときは、米軍とサドルの民兵、マフディ軍が激しい戦闘を繰り返していたところで、あの頃の記憶がよみがえる。5年前の私は「バグダッドの素人」。知らぬが仏、今から考えればかなり無茶して入っている。

サドルシティーの入口に、米軍基地がある。案の定、基地の前は厳重な検問があって大渋滞。この検問がなければ20分ほどで到着するサドルシティーであるが、結局1時間ほどかけて到着。
街のあちこちにサドル師のシンボルカラーである黒い旗がはためいている。5年前は銃撃戦や空爆で殺された人々のお葬式があちこちで営まれていたし、壊された家屋が続いていたのだが、さすがに5年たつとすべて修復されている。

黒服を着たマフディー軍幹部にインタビュー。
「俺たちはシーア派だが、シーアもスンニも団結すべきだ。イラクは一つ。団結して米軍を追い出すんだ」
この人の主張は、まさに正論である。しかし実はこのマフディー軍は、かなりのスンニ派を殺害したとされている。

サドルシティーに入ると、イラク国防軍の姿が消える。私服の民兵が、交通整理をして検問する。
「この人たちね、警官より強いよ。勇敢ね」
ハッサンの言葉通り、マフディー軍は「死を恐れない民兵」として有名だ。
「でも教養がないね。貧しいから。イスラム主義、強すぎます」
そう、酒を売る店、ポルノショップ、果ては携帯電話やパソコン店など「アメリカ的なもの」を売る店などを襲ったのも、実はマフディ軍の一部跳ね上がりだったと言われている。
特にスンニ派の人々にとっては、「米軍より恐ろしい」軍隊なのだ。

サドルシティーからホテルに戻る。午後3時。もうすぐバグダッドともお別れ。今夜7時半の飛行機に乗ってスレイマニアに帰ることになっている。
空港でハッサンたちとお別れ。
「ニシタニさん、どうでした。今回の旅は?」
「うーん、60点くらいかなぁ。子どもたちに出会えてないから」
この時、実は私は迷っていた。すぐにスレイマニアに戻り、アンマンに飛び、カイロに入ってガザを目指さなければ、日程がきつくなる。しかしバグダッドで満足な取材ができたわけではない。
後ろ髪をひかれる思いでバグダッド空港。ハッサンたちと最後の記念撮影。

空港でスレマニ行きの飛行機を待つ。午後7時、8時、9時。ドバイ行き、ストックホルム行きの飛行機が次々と飛んでいく。
「イッツドンキー」。隣で飛行機を待つ人が、イラク航空を評する。そう、2時間3時間遅れは当たり前の飛行機会社なのだ。
午後10時、さすがに待ちくたびれた人たちが騒ぎ出した。いったい何時出るんだ?
10時半、空港にアナウンスが広がる。
「スレイマニア、アルビル行きの飛行機は、キャンセルされました。翌朝7時までお待ちください」。
えっキャンセル?朝まで待てって?さすがにこの時は私も「イッツ、ドンキー」と舌打ちしたが、その後すぐ、
「待てよ、これはチャンスかも。ガザをあきらめて、もう一度バグダッドで取材せよ、ということだろう」。

急いで荷物を取り戻し、空港を出てバグダッドへ向うタクシーを探す。「キャンセルかよ、やれやれ」という表情のイラク人たちに混じって、私だけ思わず笑みがこぼれる。
そんなイラク人と乗り合いタクシーに分乗して、マンスールホテルへと戻る。
午後11時を回ったバグダッドは不気味である。電気が灯らない国道を走り、ホテルへ。
しかしホテルは満室。

夜のバグダッドで、ホテル探しはさすがに危ない。えーい、こうなったらどこでもええわ、と飛び込んだのが、サァドゥーン通りの安宿。
セキュリティーもなく、眼鏡をかけた白髪親父が受付にいて、「一泊だけ?」と尋ねてくる。
最上階の一番端の部屋を借りた。なんとなく安全な気がしたからだ。考えてみれば、夕食も食べていない。しかし外で買い物もできない。
「お湯を沸かしてくれ」。
日本から持参の「どん兵衛」をすする。うまい。きつねうどんがこんなにもうまい料理だったとは。
白髪親父は英語が堪能で、「俺は日本の歴史を研究したよ、ヒロヒトの独裁体制と、ヒットラーと、フセインの類似性とかね」。
かなりインテリ親父だった。
クルド人のボーイに金を渡し、「ビール買ってきてくれ」と頼むと、10分ほどでハイネケンを調達してきた。
えーい、どうにでもなれ、と飛び込んだ安宿だったが、なかなか親切な宿だ。安全上の問題がクリアされ、インターネットが引かれれば、常宿したいくらい。

ということで、私はまだバグダッドにいる。いわば延長戦を闘っている。しかしこの延長戦を選んで正解だった。イラクの子どもたちが、私を待っていてくれたのだ。

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このページは、nishitaniが2009年3月10日 02:58に書いたブログ記事です。

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