バグダッドごみ処分場の難民たち

廃油缶で作った難民たちの家ブログ用.jpg 写真は、アル・タジ地区、廃油缶で作られた難民の家

これを書いている今(3月11日)、バグダッドは猛烈な砂嵐に襲われている。ホテルの窓からチグリス川が見えていたのだが、見る見るうちに、視界がさえぎられ、もうまったく何も見えなくなった。この季節は時折砂嵐が吹き荒れるのだが、これほどまでに強烈だとは。
下手に窓を開けると、ビューッという音とともに、砂粒が舞い込む。パソコンのキーボードがザラザラである。
ちょうど6年前の今頃、米英軍は、この砂嵐が収まるのを待ってから侵略していった。その結果、多くの戦争犠牲者が生まれた。
「バグダッドが泣いている」。
ゴーッという音、舞い上がる砂塵。今、激しい怒りとともに、バグダッドは号泣している。

3月9日、バグダッド北方、ティクリートへと向う国道を数キロ走ると、「アル・タジ」地区が現れる。イラクのしきたりに従って、まず「アル・タジ」地区の部族長にあいさつし、撮影許可を得る。この地域では警察や軍よりも、この部族長が実験を握っている。
許可を得て、ごみ処分場へ。

広大な土地に、生ごみが放置されている。羊や牛が生ゴミを食べ、鳥たちがその食べ残しをついばんでいる。強烈な異臭。生ごみのすえた臭いと、ごみを野焼きしたすすの臭い、そして廃プラスティックと廃タイヤ、空き缶空き瓶…。
もし「ダイオキシンセンサー」があれば、ピーピーとアラームが鳴っているだろう。
そんなごみの山の中に、300家族、2千人以上の人々が住んでいる。

ほとんどが貧しいシーア派、この戦争で家を奪われた人々だ。
彼らは主に、南部のバスラ、クート、ナシリーア、サマワから流れ流れてここにやってきている。仕事がないので、ここを「不法占拠」」して、生ごみの山からプラスティック、空き缶などを拾って、生計を立てているのだ。
昨日は何ごみを野焼きした煙によって、2人が中毒死したという。周辺住民は「ごみ処分場を、砂漠に移転させろ」と大規模なデモを計画中。

しかしここに住み着いた難民たちは、生活のために砂漠への移転に反対している。
生きていくための究極の選択。
戦争さえなければ、イラクは豊かな国である。イラク・イラン戦争から、すでに20数年間もずっと戦争を続けているこの国に、「福祉」や「貧困者救済」の施策はない。
「ノーヘルプ、ノージョブ」と難民は訴える。
子どもたちも「ノースクール」。学校に通えないこの子どもたちは、やがて文盲になり、貧困の絶望から、武器を取ったりするのだろうか?

1時間も取材すると、鼻が曲がりそうになる。廃油缶で作った家の中へ。水は国道沿いの商店街から汲んでくる。電気は、この処分場を通る電線から「盗電」している。炊事するための燃料は、生ごみを燃やす。つまり家も、仕事も、燃料も「生ごみから」。
ハエが飛び回り、腐ったごみが異臭を放つ。こんな所に住んでいれば間違いなく、病気になってしまうだろう。
ここでの生活は、もう2年。しかし他の場所に移るつもりはないという。ここなら何がしかのお金が入ってくる。バグダッドの他の場所に移動しても、仕事はない。

これがイラク戦争後6年間の、「一つの姿」である。戦争はすべてを奪っていく。家も、愛する人も、そして人間としての尊厳も。

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このページは、nishitaniが2009年3月12日 00:10に書いたブログ記事です。

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