「ウサギ口」の子どもたち

うさぎぐちの子ども2ブログ用.jpg 写真の子どもは、「ウサギ口」。同じ症状の子どもたちが、小さな診療所に列を作って診察を待っていた。

3月11日、バグダッドのアーダミーヤ地区にある、「医師のための訓練・教育センター」へ。ここは1964年に建てられた医学生のための学校であるが、戦争後、あまりにもたくさんの障害児が生まれてくるため、特別に診療所が開設されている。
その診療所に入る。母親たちが赤ちゃんを抱えて並んでいる。見れば歯医者で使う医療器具。最初、この人たちは歯の治療にやってきたのかな、と思った。

被害は、私の想像をはるかに上回っていた。

写真で見るように、すべての赤ちゃんが「ウサギ口」なのだ。ウサギ口の赤ちゃんを順番に撮影していく、一人、二人…。合計で8人いた。たまたま入った診療所で、8人ものウサギ口。ウサギ口だけではない、生まれつき歯が生えていない子、指がくっついて生まれてきた子、全身麻痺の子、背骨が曲がって歩けない子…。
「すべて戦争後に生まれた子どもだ。アメリカの武器によるものに間違いない」。ドクターが証言する。「アブソルートリー」。確実だ、と。「ユーレニウム、ユーレニウム」と看護師が叫ぶ。劣化ウラン弾が原因だという。

この子どもたちは、バグダッド、ヒッラ、そして指がくっついている子どもは、ツワイサから。
バグダッド南方に「ツワイサ核施設」というのがあって、フセインは確かにここで核兵器を作ろうとしていた。しかし90年代の国連による経済制裁で、この施設は国連管理下におかれた。だからはじめから、フセインは核兵器を「作りたくても作れなかった」のだ。
イラクに大量破壊兵器がないのは、必然だったのである。

2003年イラク戦争終結直後、警備が手薄になったツワイサ核施設に盗賊団が忍び込む。彼らは、ウランが一杯詰まった「イエローケーキ」を、チグリス川支流に投げ捨てた。
2003年11月に、私はツワイサを訪れ、背中に大きな腫瘍のできた赤ちゃんを撮影したが、その後のツワイサも異常事態が進行しているようだ。

いずれにしても、何らかの手当てをしなければ、多くの子どもたちが死んでしまう。国際社会がイラクを忘れた頃に、本当の悲劇が忍び寄ってきている。

「ウサギ口」の正式な病名を、私はまだ知らない。しかし、日本の医療技術を持ってすれば、この赤ちゃんたちは治癒するのではないか?

バグダッドは以前ほど危険ではない。自衛隊ではなく、医療機関がここに来るべきである。
日本が行うべき人道支援は、間違いなく、こうした医療支援である。

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このページは、nishitaniが2009年3月12日 00:46に書いたブログ記事です。

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