カブールに無事到着

カブール初日 コーエアスマイ山と人々ブログ用.jpg 写真は宿泊しているホテルの近辺から カブール市内の様子。

6月10日早朝。無事アフガンの首都カブールに到着。私が初めてアフガンを訪れたのは、01年10月のこと。当時のカブールはタリバン支配地域で、パキスタン側つまり南側からは入国できなかった。そこで、旧ソ連のウズベク、タジクを経由し、アムダリア川を船で越えてホジャバルディンという町に入った。あの頃は公務員だったので、休暇の日数をにらみながらの旅だった。マスード将軍が暗殺された場所や難民キャンプなどを北部の町で取材したが、カブール陥落までアフガンに滞在できず、結局カブールをあきらめて帰国した。いわば「カブールに入る」ことは8年越しの夢であったのだ。

カブール国際空港の入国審査。地元民と一緒に長蛇の列に並んでいると、「おいそこの日本人、お前から先にやるよ」と係官。アフガン人の多くは日本が大好きなようなのだ。8年前も同じように日本人優先で入国させてもらった経験がある。あの時は「お前たち日本人は日露戦争で憎いロシアをやっつけてくれた。だから俺は日本のファンなのさ」などと言われ、最初に入国させてもらった上に食事まで振舞われた。今回もそれに違いないと、並んでいるアフガン人をごぼう抜きし、すんなりと入国。
「10ドルだ」。「えっ?ワイロやったん?」。公務員の給料が少ないのだろう、この国もワイロに染まってしまったのかもしれない。

空港で本日の通訳を探す。「カナダ、スイス、中国などいろんなジャーナリストの通訳をした」というオスマンに決める。政府ナンバーの車に乗っているのは、何かあったときに好都合だ。英語はいまいちだけど、こいつの経験、つまり「安心」を買う。

カブールのメーンストリートには、軍と警察がずらり。治安警察の車に混じって、国連の車やISAFの戦車が通る。
ISAFの兵士が戦車から銃を構えて周囲を見渡す。バグダッドと似た光景。私たちの車が戦車に近づいたとき、「距離をとれ!」とオスマンが運転手に指示。下手に近寄りすぎると危険だ。

アフガン政府のメディア省へ。すんなり記者証をくれるかと思ったが、「フリージャーナリストは日本政府のレターが必要」とのこと。カブールの日本大使館へ。日本大使館に行くには、カナダ大使館の警備を越えなければならない。
「何しにきた?」「日本人か?」「ちょっと待て車を調べる」。カナダ大使館の警備員はテキパキと作業する。制服には「アーマーグループ」の刺繍。
民間軍事会社だ。大使館という最もテロリストに狙われやすい建物を警備しているのは、PMC、民間軍事会社だった。イラクに続いてここアフガンでも戦争が民営化されている。

突然の訪問にもかかわらず日本大使館は「レター」を出してくれた。感謝感謝。大使館としては、私のようなフリーランスという「どこかの馬の骨」は、ハッキリ言って「迷惑な存在」だろう。「くれぐれも安全に取材してくださいよ」という忠告を守り、無事10日間を過ごそう。

ホテルの前にはコーエアスマイ山がそびえ、ほとんど木が生えていない山の稜線まで家が建っている。空はどこまでも青く、朝夕は涼しい。平和であれば、ここは一大観光地になるだろう。バーミヤンまで車でわずか6時間、カンダハルも同じくらいでいける。ただし平和であれば。
「町から町への国道が一番危ない。タリバンが襲ってくるよ。だから空路が一番だね」。オスマンの経験に従いつつ、「とりあえず危険が少ない」カブールで情報収集だ。

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このページは、nishitaniが2009年6月10日 23:29に書いたブログ記事です。

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