カブールでデモに遭遇

デモ行進する戦争被害者たちブログ用.jpg

6月13日(土)本日は、ISAFの本部へ行き、ISAFの記者カードを申請する予定。うまくいけば従軍取材ができるかもしれない。
ホテルからISAF本部までは、カブール川をはさんで20分程度。タクシーを降りて、本部へと向かう。
「アラーアクバル」(神は偉大なり)。大音響とともにISAF本部の方向から、デモ隊が現れた。デモ隊は警官ともみ合いながらこちらへ向かってくる。

「これは撮影せねばならない」。すぐにカメラを回す。一瞬デモ隊に近づきすぎて射殺された長井さんのことを思い浮かべるが、そんなことは一瞬に吹き飛ぶ。片足の男たちが怒りの形相で迫ってくる。
後で聞いたが参加者は約130名。全てが戦争被害者とその家族である。銃を構えた警官たちの制止を振り切って、デモ隊は進んでいく。ダリ語なので何を言っているのかは分からないが、「仕事をよこせ」「軍隊はカブールから出て行け」などと叫んでいるのだ、と後でオスマンが解説してくれた。

アフガンの旗がはためき、時おりコーランの一説を唱和する。「ラーイラーハ、イッラーラー」(アラー以外に神はなし)。「アシュハド、アン、ムハンマド、ラスールッラー」(モハンマドは神の使いなり)などは理解できる。日本でいえば「麻生は退陣せよ」などのシュプレヒコールの合間に「南無阿弥陀仏」と唱えるようなものか?
しかし日本のデモと全然違うのは、その迫力。片足の男たち、車椅子の男たちが、こぶしを上げながら、時おり、警察が路上に置いたカラーコーンを松葉杖で蹴飛ばしながら、鬼のような形相で「障害者にも仕事を与えろ!」と叫ぶのだ。私たち日本人が忘れかけている「抗議行動の原点」がここにあった。

デモ終了後、幾人かにインタビュー。その中の1人、ハザラ人のホスマンドさんは一見すると、中国人のようである。
「20年前に地雷を踏んだ。俺は47歳、家族を養わねばならない。地雷?おそらく旧ソ連軍が仕掛けていったんだろう。俺の村は地雷原になったよ。政府は月に700アフガニー(約1500円)の手当てをくれるだけだ。これでどうやって生活できる?日本人に言いたいこと?そうだね、軍隊に援助せず、俺たちのような住民を助けてほしいよ」。
日本がインド洋で米軍に給油していることは、ほとんど全てのアフガン人に「ばれてしまって」いる。米軍に給油する金があるなら、俺たちに回してくれ!という切実な声。
20年間、義足なしで生活してきた彼の手のひらには、松葉杖を使い続けたための「タコ」ができている。30年近く続いてきた戦争。
ホスマンドさんの赤く固まった手のひらが、その苦難の歴史を物語っている。

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このページは、nishitaniが2009年6月13日 22:50に書いたブログ記事です。

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