地雷&不発弾撤去を取材

慎重に地雷をマーキングしていく ブログ用.jpg

本日無事バーミヤンからカブールに帰ってきた。カブールは2日前よりも警備が厳戒になっている様子。こちらではテロが結構起こっているので、軍と警察の姿が目立つ。 で、以下はバーミヤンの取材を簡単にまとめたもの。

6月17日午前7時、地雷撤去センターの職員、シャムスディーンが迎えに来る。目指すのは世界遺産の一つ「シャーリ・ゴルゴラ」。12世紀中ごろに、シルクロードの中間点であるこの町は栄え、バーミヤン渓谷を見渡せる小高い山に首都が置かれた。しかし、その首都はチンギス・ハーンの部隊に皆殺しにされてしまう。シャーリ・ゴルゴラは「嘆きの町」という意味だ。
小高い山のあちこちに洞窟が点在する。古代から中世にかけて、人々はこの洞窟で生活していたという。洞窟は山の内部でつながっていて、内部には部屋があり、人の生活跡が在るという。1979年旧ソ連軍がアフガンに侵攻。全土は旧ソ連軍対アフガンゲリラ(ムジャヒディーン)との戦場と化した。旧ソ連軍との10年にわたる戦争で、このシャーリ・ゴルゴラは地雷原となった。そして戦闘中に多くの不発弾が残された。
旧ソ連軍が去った後、1990年代はタリバン対北部同盟の内戦になった。この時もここは激戦地となり、双方が地雷を埋め、不発弾が地中に眠った。したがって今はシャーロゴルゴラに点在する洞窟の中に入るのは厳禁。洞窟内には地雷と不発弾がゴロゴロ転がっている。

「今年4月から、ここで地雷&不発弾撤去が始まった。俺たちは2ヶ月で約800個の地雷&不発弾を撤去した」。シャムスディーンが誇らしげに語る。
撤去作業員は、ここだけで60人いて、6つのチームに分かれて作業している。

防弾スーツとフルフェースのヘルメットをかぶり、撤去現場を取材する。
シャーリ・ゴルゴラの山の中腹で、地雷探知機がキーンと鳴る。金属が埋まっている。作業員は、慎重に石を取り除き、赤のペンキでマーキングする。全て手作業。めちゃくちゃ危険で勇気のいる作業だ。聞けば月給は約5千アフガニー程度(1万円)。命を張った危険な作業にしては不当に低いサラリーだ。この地雷撤去作業はユネスコが所管し、ATCというアフガン人NGOが実際の作業を行う。予算の約30%以上を日本政府が拠出している。インド洋で米軍に給油するのではなく、もっとこのような人道支援に予算を使ってほしいものだ。
「気をつけろ、地雷ベルトだ」。シャーリ・ゴルゴラの山の頂には軍事基地があって、その軍事基地に至る道に多くの地雷が埋まっている。バーミヤンは寒いので11月に入ると雪に覆われ作業できない。10月までにこの「地雷ベルト」から全ての地雷&不発弾を撤去する計画だ。ちなみにATCではこれまで22人が爆発に会い、8人が死亡している。10月までに全員無事で作業を終了できればいいが…。

「不発弾が見つかった。場所は…」シャムスディーンの無線に連絡が入る。30分後、現場に到着。現場はランドクルーザーでしか入れないような悪路を突っ切ったところにある普通の村の山腹。
不発弾は旧ソ連製の戦車砲か、RPG肩掛けロケット砲だった。作業員が慎重にダイナマイトを仕掛け、銅線コードを山のふもとまで伸ばす。「400メートル離れろ」作業監督が指示。監督はハンドマイクで叫ぶ。「みなさん、今から不発弾を爆破します」。羊飼いなどが近づいてきたら大変だ。
3、2、1。ドッカーン。大音響とともに煙が舞い上がり、無事撤去終了。こうした作業を毎日毎日、10月末まで繰り返すのだ。気の遠くなるような作業である。

ちなみにバーミヤンの大仏跡は、2005年に彼らによって完全に撤去された。
「日本のみなさん、バーミヤンの大仏は安全ですよ。どうぞ観光に来てください」。シャムスディーンがウインク。「1970年代までは約1万人の日本人がバーミヤンに来てくれた。日本に帰れば、バーミヤンは安全だ、と宣伝してくれ」。


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このページは、nishitaniが2009年6月18日 21:17に書いたブログ記事です。

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