難民キャンプで食料を配る

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6月19日(金)、今日はカブール郊外の難民キャンプを再訪する。今日からの通訳はアブドッラーに交代。先日までの通訳オスマンの英語が分かりにくく、正確を期すためにアブドッラーを採用。彼はカブールに住んでいたが1990年代の内戦でカブールは戦場と化し、パキスタンに逃げた。イスラマバードで英語を覚え、カナダ系企業で働いてきた人物。カブールに来て10日目にしてようやく優秀な通訳に巡り会った。

アブドッラーの運転で「モジュリーン避難民キャンプ」へ。
先日訪問しているので、多くの人々が私を覚えていて、「金をくれ」と迫ってくる。
「まぁ待て待て、もう少し生活の様子を見せてくれ」とテントや泥でできた家を回っていく。地面にパンくずが落ちていて、そのパンくずにハエがたかっている。子どもがそのパンくずを集めて食べるまねをする。
「この子たちは今日の昼食もない。あのパンを食べるしかないんだ」。アブドッラーは淡々と語る。小さなテントがある。テントの前で男性がなにやら訴える。「このテントに14人寝ているそうだ」。たたみ8畳ほどの小さなテント。地面に一枚絨毯が敷いてあるだけ。ここに14人寝ているとは…。

電気はなく、水は井戸から。「トイレは?トイレはどうしているの?」。
「このキャンプにトイレはない。トイレはあそこだ」。アブドッラーが指差したのは、国道を挟んだ山腹。その山では羊が草を食べている。人間のウンチも羊たちが処理するのだろうか?アフガンでは女性は人前で顔をさらすことすら恥らう。女性が外で用を足すのは、(どこの国でもそうだが)非常に恥ずかしいことに違いない。「女性が用を足すときは、子どもたちが一緒についていって人垣を作り、女性たちはその中で用を足すんだ」。

取材を続けていくと、私たちの周りに大勢の人々が集まってきて、「金をくれ」「食べ物を恵んでくれ」と、パニックになりかける。
「分かった、分かった。金ではなく、食料を配るからここで待っていてくれ」。とその場を逃げ出す。お金は少数の人々にしか行渡らないし、そのお金をめぐってまた争うのは目に見えている。ここはいったん町へ出て、パンや米を買ってこよう。

カブールの下町で米、パン、食用油、野菜、お茶の葉、砂糖を買い出す。軽トラックに食料をつめ込み、再度キャンプに舞い戻る。
「おーっ、食料が来た」。どんどん集まってくる難民たち。またもや食料の分配をめぐってパニックになりかけるが、アブドッラーが必死の形相で整列させる。
「サンキュー、ジャパン!」子どもたちが笑顔でお礼を言ってくれる。まずは良かった。明日は世界難民の日。このキャンプの難民たちには国際援助はおろか、アフガン政府からの援助もない。世界にはこのような人々がたくさんいる。
このブログを書いているのは現地時間の午後8時半。今頃、あのテントの中で、パンや野菜を食べながら家族で団欒してくれているだろうか…。


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このページは、nishitaniが2009年6月20日 02:13に書いたブログ記事です。

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