カンダハールにて その1

どうもネットの調子が悪くて写真がアップできない。写真は後ほどアップする。以下、カンダハールでの取材模様


10月13日早朝にホテルを出てカブール空港へ。カンダハール行きの便を待つ。乗客は地元民が圧倒的。3、4年前まで、地元の人々はカブール~カンダハール間を車で移動するのが一般的であった。しかし道中がかなり危険になったので、人々は移動手段として飛行機を使わざるを得なくなった。地元民に混ざって、民間軍事会社の社員がチラホラ、そして私が数少ない外国人である。
約50分のフライトでカンダハール着。機内で着陸の模様を撮影していたら、「フィリピン人か?何を撮影している?」と若者が近寄ってくる。適当に答えていくが、ちょっと不気味。おそらくビデオカメラが珍しく、好奇心だけで聞いているのだろうが、「こいつがタリバンの内通者だったら」と思うと、うかつには会話できない。
空港にはISAFとアフガン軍の軍用ヘリ、米軍の戦闘機がズラリ。ここは軍事空港で、私たちが乗る民間機は「間借りさせてもらっている」状況なのだ。
空港を出る。通訳のイブラヒームがランドクルーザーの運転手となにやら話している。全て民間軍事会社の社員を運ぶためのランクルで、乗せてはもらえなかった。
バスに乗ってカンダハール市内を目指す。地元市民で満員のバスに乗る。
「誰も信用するな。市内に着いたらさっとタクシーを捕まえよう」とイブラヒーム。彼自身もかなり緊張しているのが分かる。
空港と市内を結ぶ道路は一本道で、米軍やISAFの戦車とかなりの頻度ですれ違う。カブールよりも数倍の兵士がここに来ている。

タクシーに乗り換え、「市内で最高のホテルに行け」とイブラヒーム。カブールでもそうだが、最高級ホテルはそれなりに警備がしっかりしていて、国連職員やジャーナリストが宿泊している場合が多い。相対的に安全である。
コンティネンタルゲストハウスへ。玄関に警備員が数名いて、バーの上げ下げで中に入れる仕組みになっている。このホテルが正解だ。
ホテルの中には、やはり民間軍事会社の社員たちがたむろしていた。屈強な体にスキンヘッド、そしてサングラス。なぜかみんな同じようなスタイルである。違いがあるとすれば肌の色が白いか黒いか。

ホテルで遅い昼食を取り、市内で最も大きいミルワイズ病院へ。連日のように空爆と銃撃戦、そして仕掛け爆弾(IED)による爆発が起こるので、この病院は戦争被害者で一杯だ。
外科病棟集中治療室へ。包帯ぐるぐる巻きの患者。仕掛け爆弾の被害者である。彼の左側で爆発があったらしく、左半身に破片が入っているようだ。人工呼吸器につながれてはいるが意識はある。

銃撃戦の流れ弾が貫通した7歳の子どもがいる。タリバンに撃たれたようだが、「誰に撃たれたの?」と父親に聞くも「犯人は分からない」。もし米軍に撃たれたのなら「アメリーキー」と叫ぶ。しかしタリバンにやられた場合は、名指しでは批判しない。なぜか?私たちのインタビューを病室で聞いているほかの患者が、タリバンの内通者である可能性があるのだ。
もし「タリバンにやられた」と証言しようものなら、後にこの父親は攻撃される可能性がある。それほど市民の中にタリバン支持者が増えているということだ。

少年は目にうっすらと涙を浮かべ、赤いホースをくわえてブクブクと呼吸練習。銃弾が肺を貫いているので、呼吸練習をしないと肺がしぼんでしまうのだ。
「一日に平均20~30件、手術するよ。銃撃戦、IED、空爆…。もうクレイジーだよ。医師の数が足らないので、休む間もない。日本政府に望むこと?とにかく医師を増やしてほしい。患者の数が多すぎて手が回らないんだ」と外科部長。
外科部長との会話は英語なので、地元民は理解できない。タリバンに関する微妙な質問にも答えてくれる。部長は「あの少年はおそらくタリバンに撃たれたのだろう」と証言した。

この病院には大型フリーザーが数台配備されている。遺体安置冷蔵庫だ。米軍の空爆は山間部で行われる場合が多いので、田舎から患者が運ばれるが、なくなるケースが多い。親族が遺体を受け取りに来る間、遺体を冷蔵せねばならない。かくして巨大なフリーザーが配備されたわけだ。
その中の一つを覗く。ご遺体が並ぶ。フリーザーの門の前にはお棺を載せた自動三輪車。この戦争で「葬儀ビジネス」が繁盛している。

病院を出て市内へ。車の中からの撮影が主になるが、「これは!」というところでは車から出てピンポイント撮影。その中の一つ、オマル師のモスクが建設中でストップしている。タリバンの指導者であるオマル師が2001年に建設した自分の名を冠したモスクである。
ご承知のとおり、9・11事件後、米軍の攻撃でオマル師はこの街を追われたわけで、今はどこにいるか分からないのであるが、フセインが故郷のティクリートで捕まったように、案外、この街のどこかに潜伏しているのかもしれない。

自爆テロ現場へ。かなり巨大な自爆で周囲の建物がすべて破壊されている。犠牲者は100人を越える。トラックに爆弾を積めて突っ込んだようだ。明らかにタリバンの犯行なのだが、地元民は「米軍が空爆した」と言う。空爆なら地面に大きな穴が開き、その穴に雨がたまって池になるはずだ。爆発があれば全て米軍の仕業と考えているのか、周囲にタリバン内通者がいるので本当の意見を言えないのか…。

夕刻、ホテルへと急がねばならない。車の前には米軍の戦車。のろのろと運転しているので、渋滞する。と、突然ピカッと緑色の閃光。
「米軍は戦車に車が近づきすぎると、レーザー光線で威嚇するんだ。最初が緑、次は赤。それでも距離をとらずに走ると、容赦なく撃たれるんだ」。イブラヒームは数回、このレーザー光線の洗礼を受けている。

緊張の市内取材を終えて、ようやくホテルへ。夜は絶対に出歩けないので、ここで朝まで缶詰。ここにいるとカブールが「平和都市」に感じる。戦場の町では日が出ている時間が勝負。明日は早朝から避難民キャンプへ行こう。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: カンダハールにて その1

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.nowiraq.com/mt/mt-tb.cgi/265

コメントする

このブログ記事について

このページは、nishitaniが2009年10月16日 12:23に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「カンダハールから無事帰還」です。

次のブログ記事は「カンダハールにて その2」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.01