パシュトン文化に唖然とする

10月16日、今日はカブール郊外の避難民キャンプに行って、ゴルジュマちゃん一家を、市内のレストランに招待する。チャーレバカールキャンプに到着。あらかじめ、父のワキールと母親、そしてゴルジュマちゃんに連絡しており、彼らがテントの前で待っている。

一家を連れてカブールに戻ろうとするのだが、私たちの姿を目ざとく見つけたほかの避難民たちが、「俺たちも車に乗せろ」と車の周囲に群がってくる。
「ダメだ!俺たちはゴルジュマを病院に連れて行くのだ、これは遊びではない」と説得。ゴルジュマちゃんと両親、そしてちゃっかりと叔父が車に乗り込む。叔父は招待していないのだが(笑)。

車中、「カブールへは行ったことがある?」との質問に「ない」と恥ずかしそうに首を振る。キャンプから車でわずか30分の距離だが、いまだに都会を知らない。
「レストランでは何が食べたい?」「何でも」。「好きな食べ物は?」「ポテト」。この家族は一ヶ月以上肉を食べていない。普段の食事でもっともご馳走なのは、じゃがいもだ。

レストランに到着。ここで予期せぬことが起こった。ワキールが妻に外で待て、と命令するのだ。妻はレストランの外でうずくまる。
「おいおい、俺はお前たち一家を招待したんだ。妻も当然レストランでランチを食べてもらう」「いや、ダメだ。レストランには他の男性客がいる。男の前で妻をさらすことはできない」。田舎のパシュトン人にとって、妻の素顔を見られることは最大の侮辱なのだ。
レストランに交渉し、2階の部屋を空けてもらう。2階へ。さぁ一緒に食事を、とメニューを見ているときだった。「お前と通訳は他人だ。他人の前で妻をさらすことはできない」とワキール。「おいこら!そこまで言うのか!俺たちはもう家族みたいなものじゃないか。一緒に食べよう」と通訳と一緒に説得するが、ダメ。妻とゴルジュマちゃんだけ、さらに別室を借りて食事。
「今は21世紀だぜ。なんというストゥーピッド(愚かな)文化なんだ」と通訳のイブラヒーム。同じアフガン人でもカブール市内に住む人々は、さすがにこうした文化を嫌がっている人が多い。しかし彼らは、ヘルマンド州の出身。電気もなく、レストランなど見たことがなく、テレビもインターネットもない中で生活してきたのだ。
ゴルジュマちゃんは子どもなので、男側でも食事ができる。かくしてゴルジュマちゃんは、父と母のテーブルを行ったり来たりしながら食事することとなった。

食事が終わり、おもちゃやさんで買い物。店に入るや否や、彼女は人形を抱えた。
「何でも買っていいよ」といっていたのだが、わずか数秒の買い物。赤ちゃんの人形を抱えて、微笑む。おそらくこの一年、これほどの笑顔を見せたことはなかったのではないだろうか。

ゴルジュマちゃんたちをキャンプへ送り、別の避難民キャンプ、パルワン・ドゥーに毛布200枚を贈る。パルワンドゥーキャンプのテントの中を取材。テントには無数のハエ。ひどい悪臭。見れば大きな金属のボールに茶色いご飯が山盛り。
「結婚式場の食べ残しだ。俺たちはこれを3日間、ずっと食べている」。辺見庸さんの著作「もの食う人々」のなかに、食べ残しを食べて生活するバングラディッシュ人のことが紹介されていたが、バングラデシッシュだけではない、ここカブールにも存在した。

毛布200枚が到着。歓声を上げて喜ぶ避難民たち。
「サンキュージャパン!」「タシャクール(ありがとう)」と、みんな満面の笑み。日本人のために祈りをささげてくれた。

さて、カブール取材もそろそろ終わりに近づいてきた。次回は1月、真冬に訪問したい。緊急にストーブとテントシートを援助しなければ、多くの子どもたちが凍え死んでしまうだろう。それまでの期間、日本で募金を集めることにしよう。

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このページは、nishitaniが2009年10月17日 18:22に書いたブログ記事です。

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