想像を超えるモスルの戦争被害
写真は劣化ウラン弾による遺伝子異常と考えられる子ども
モスルではこのような被害が急増しているという。
10月20日、タクシーを拾い、アルビルとモスルの州境へ。ここはクルド側(アルビル)とアラブ側(モスル)の事実上の国境で、パスポートチェックをはじめ、荷物検査、運転手のIDカードチェックなど、厳戒警備体制。モスルからのテロリストを防ぐ、という意味もある。
無事、モスル側へ抜ける。通訳のサウファンと運転手のマジードが待っている。半年振りの再会。
サウファンらと、あらかじめ打ち合わせしていたアリー君(16)の家へ。ここはモスル中心地からわずか20キロ、バルテッラーという街で、人口の大半がキリスト教徒。モスルが危険なのと、キリスト教徒への弾圧があるので、この街に避難する人が急増し、人口が急激に増えている。
アリー君は7人兄弟。1人はテロに巻き込まれて死に、3人は米軍の空爆で死んだ。
06年3月10日、米軍はアリー君の家とその周辺を空爆し、3人の兄弟をなくすとともに、彼は身体障害者になった。背骨に爆弾の破片が突き刺さっており、以来、下半身不随の寝たきり生活だ。
「米軍から何の謝罪も補償もない。俺たちは普通の市民だった。アルカイダではない。空爆後、モスルを捨ててこの街へ逃げてきた。タクシー運転手だったが、今は失業している。この家は借りている。近所の人も戦争被害者だ」と、父親のイブラヒームさん(46)。
アリー君の家で取材していると、「俺もやられた」「私の息子を見て」と近所の人々が集まってくる。
写真の少年、アハマド君(5)は明らかに鼻の発達異常である。母親が彼を身ごもっているとき(5年前)、最も米軍の空爆がひどい時期だった。おそらく劣化ウラン弾の被害ではないか?
「ウランって知っている?」と母親に聞くが、「ウランって聞いたことがない」との答え。
しかし「息子は戦争の結果、このような顔になったと思うか?」との質問には「100%、戦争の被害だと思う。だって、このような症状の子どもが病院にあふれているもの」。
モスルは「フセインが隠れている」と疑われた都市で、とりわけ空爆が激しかった。二人の息子、ウダイとクサイが米軍に殺されたのも、このモスルだった。
モスル中央病院では、「メニー、メニービクティム(被害者はたくさん)」とサウファンが証言する。
今回は時間の都合と安全性が確保されていないため、モスル市内にははいらないが、できるだけ早期にモスルの実態を取材したいものだ。
昨年に引き続き、サウファンに日本からの募金を手渡す。このお金でモスル市内の小学校にストーブを買ってもらう予定。小学生の多数が、この戦争で親をなくしている孤児である。モスルはイラク北部に位置していて、冬は大変寒いのでストーブは喜ばれるだろう。
夕刻、無事アルビルまで帰還。長距離タクシーを捕まえてスレイマニアに入る。
私の旅もこのスレイマニアで終結する。残されたわずかな日々を、きちんと取材してから、帰国したい。
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