ジョジョの物語

アフガン取材において、私はムスタファホテルのマネージャーであるイブラヒームを通訳に選んだ。
彼はカブール生まれのパシュトン人で、タリバン時代はパキスタンに逃げていた。彼の親族はカブールの裕福な一族で、2001年にタリバン政権が崩壊すると、カブール中心街に、いち早くムスタファホテルをオープンさせた。

01年当時、カブールのホテルといっても、最上級のインターコンチネンタルホテルと、このムスタファ、改装前のセレナホテルくらいしかなく、アフガン取材にやってきたジャーナリストたちで、ホテル客は一杯だった。

外国人が多数やってきたのと、タリバンによる極端なイスラム支配のくびきから逃れた解放感から、ホテルオーナーであるイブラヒームの叔父は2階にショットバーを開いた。
タリバン政権が崩壊したとはいえ、イスラム国家でショットバーを開くというのは、勇気ある英断である。そして叔父はバーの従業員を数名雇ったのだが、その中にバーミヤン出身のハビーブがいた。20才そこそこのハビーブは、よく働きくハザラ人で、みんなからジョジョという愛称で呼ばれた。年齢が近いこともあって、ジョジョとイブラヒームは主従関係というより友人のような関係だった。

ある日バーの営業が終わり、イブラヒームはバーミヤンのことについて何気なく尋ねた。01年にバーミヤンの大仏がタリバンによって爆破され、ほとんどのアフガン人にとって、バーミヤンの出来事は気がかりだった。
「バーミヤンのことが聞きたい?よしお前だけに本当のことを教えてやろう」。酒が回っていたのかその日のジョジョは饒舌だった。
1999年のこと。ヘラート、カブール、マザリシャリフと次々と主要都市を陥落させたタリバンが、ついにバーミヤンに迫ってきた。バーミヤンはハザラ人の町。パシュトン人のタリバンの攻撃を受けて、人々は降伏せず、戦うことを選んだ。

タリバン兵はすぐには攻めてこなかった。バーミヤンを囲うようにして兵糧攻めにしたのだ。
1ヶ月、2ヶ月、そして3ヶ月が過ぎた。町の人々は家畜を食べつくし、雑草や木の皮を食べて飢えをしのいだ。

やがて「究極の選択」を迫られる日がやってきた。
ジョジョの親族が家に集まった。男はみんな銃を持っていた。家の中で息を潜める。ガサガサッ、音がする。家の前を通行人が通っている。男たちは何も言わず銃を握りしめる。
ズドンッ。通行人(近所の仲間)を撃ち殺し、家に運ぶ。飢えた家族は、男の皮をはぎ、その肉を食らった。

「そうさ、俺たちは人肉を食べて生き残ったんだよ」。ジョジョの告白に凍りつく。「でも他にどうすれば良かった?殺さなければ殺されて食われる。極限状況だった」。

ジョジョがこの話をしたのは、後にも先にもこの日だけ。
ムスタファホテルのバーはその後閉鎖され、ジョジョもどこかへ行ってしまった。イブラヒームは、今も不思議に感じている。なぜ彼があの日だけ、あんな告白をしたのだろうか?

あの日からもう4年が経過した。ジョジョは今どこにいるのだろうか

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このページは、nishitaniが2009年11月 4日 18:53に書いたブログ記事です。

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