厳冬のカブールで 1

01年、北部同盟のロケット弾で片足を失う ブログ用.jpg 9年前の「不朽の自由作戦」で、北部同盟のロケット弾を被弾した男性


1月8日午前8時、気温4度。これでもカブールは暖冬で、去年と比べてかなり暖かいという。
昨年10月に訪れたパルワンドゥー避難民キャンプへ。まずはこのキャンプで越冬するのに何が必要かをインタビューし、購入するものを決めるためだ。
このキャンプは4年前にできて、35家族およそ350人が住む。昨年の毛布支援を覚えていて、私の顔を見るなり多くの人が走りよってきて、タシャクール(ありがとう)と挨拶してくれる。
「この中で病気の家族を抱えている人は?」と聞くと、
「全ての家族に病人がいる」との返事。まずは一つ目の「泥でできた家」へ。

子どもがアフガン式のコタツで寝ている。生後間もない赤ちゃんのムエーパンちゃんが病院から帰ってきたばかり。風邪をひいている。夜は寒くて寝れずに泣いてばかりいるようだ。コタツ布団をめくって中をのぞく。小さな石炭を入れる火鉢のようなものがあって、子どもたちは裸足を突っ込んで暖を取っている。
未亡人のマラーラさん(25)にインタビュー。
「夫が3年前に死にました。夫は電気工で感電死してしまったのです。以後、私は子ども4人と義父を養わねばなりませんでした。でもこの国では女性が働くのは難しくて、街へ出て、物乞いで子どもを育てました。でも最近になってアフガン政府は『物乞い禁止』を言い出したので、収入がありません。どうしたらこの子たちに食べさせることができるのでしょうか」

アフガンの未亡人は、非常に苦しい立場に追い込まれる。厳然と残る女性差別、そして戦争と貧困。絶望的な状況の中で、マラーラさんは難民としてパキスタンで20年ほど、そしてここアフガンで3年を過ごしている。
彼女が結婚したのは8年前。毎年子どもができた計算になる。何が必要か?との質問には、
「何よりも食べ物です。次にカーペット。地面が冷たいので子どもが寝ません。最後にコタツ用の石炭かな」。
パキスタンとアフガン、どちらも避難民として過ごしてきたが、どちらの国がよかったですか?との問いには、
「アフガンです。自分の国ですから。でも冬は嫌いです。パキスタンは暖かかった。この寒い冬だけは好きになれません」。

そんなインタビューをしていたときに、ふと見るとおなかの大きな女性がいる。
「何ヶ月ですか」
「7ヶ月です」
「子どもは病院で産めますか?」
「いいえ、お金がないのでこのキャンプで産みます」。
バルオナさん(22)は、娘2人、息子1人をすべて難民キャンプで産んでいる。出産のたびに恐怖に襲われる。病院で産むには50ドル(約4500円)が必要なのだが、その50ドルがない。もし出血して輸血が必要な場合は100ドルに値段が跳ね上がる。そんなお金はないので、このキャンプで産むのだ。
「妻にもっと食べささないと、元気な赤ちゃんが生まれないのは、よく知っている。でもどうすればいいんだ。俺にはまったくお金がない」。夫は24歳。「俺はまだ若いが、ずっと苦労しているので40歳くらいに見えるだろ?」。
彼の収入は一日90アフガニー(約180円)ほど。市場でリンゴを売ったお金で妻と子どもを養う。
産婆は?
「近所の元ベドゥインの女性に頼むつもりだ」。
ベドゥイン(遊牧民)は、山から山へと旅をしながら生活しているので、お産の技術があるようだ。

次に「パルワン・セ避難民キャンプ」へ。ドゥーが2、セが3なので、新しくできた避難民キャンプである。このパルワン・セには30家族約300人が住む。ドゥーは全てタジク人だが、セはタジク人とパシュトン人が混じっている。

右足を足元から切断した男性がいる。9年前ロケット弾が自宅に飛んできて、足を失ったのだという。
9年前、そう9・11事件後、ブッシュが「これは戦争だ!」と、アフガンで「不朽の自由作戦」を開始。
カブールはそのときタリバン支配地域だったが、米ソ・中国などの大量の武器が北部同盟に流れて、一気に北部同盟が勢力を挽回し、カブールに迫った。
彼はその時、西カブールに住んでいた。北部同盟がタリバン支配地域に撃ち込んだロケット弾で、彼と息子の足が奪われたのだ。彼はタリバンではない。タリバンの拠点までロケット弾が届かず、途中にあった彼の家に着弾したそうだ。
こうなると、誰がテロリストで誰が正義か、などという理屈は通らない。そこに武器があれば、傷つくのは市民である。ブッシュの演説を思い出そう。「俺たち正義の側につくのか?それともテロリストの側なのか?」。大統領はあの時世界の国々に、「ブッシュ風の踏み絵」を迫っていた。でも実際に行われていたのは、無差別な殺戮だったのだ。

このパルワンセ避難民キャンプでは、昨冬、2人の子どもが死んでしまった。1人はストーブに近づきすぎて衣服が燃え上がって死んだ。もう1人はセキが止まらず病死した。
靴をはいていない子が多い。凍てつく大地に裸足で、セーターもなし。ドゥービーちゃん(5)に、「一番ほしいものは何?靴、セーター、それとも食べ物?」と尋ねる。
「靴がほしい。だって寒いもの」。

通訳のイブラヒームと下町の市場で、米、小麦、大豆、石炭を買出し。
大型トラック2台を満載にして、パルワンドゥーとセに配る。
「タシャクール、ジャパン(ありがとう、日本のみなさん)」。避難民たちはコーランの一節を謳い上げた後、神に祈ってくれた。
募金いただいたみなさん、どうもありがとうございました。おそらく何人かの命は救えたと思います。明日はカブール最大の避難民キャンプ「チャライ・カンバール」で同様の支援を行います。

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このページは、nishitaniが2010年1月 9日 01:30に書いたブログ記事です。

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