カンダハールにて 2

この左手は切断せねばならない ブログ.jpg 写真はISAF軍に撃たれた子ども。左手は切断しなければならない

自爆攻撃で破壊されたホテルから、ミルワイズ病院まではタクシーで10分ほどの距離。前回よりは緊張の度合いは薄れているが、やはり街行く人々全てがパシュトン人の伝統衣装を着ていて、頭にはターバンを巻いているので、誰がタリバンで誰が一般市民か区別することはできない。
「街の人々の半分が、親族にタリバンがいると考えて差し支えない。このタクシー運転手も信用してはいけない」とイブラヒーム。
アフガンは大家族で、ここはタリバンの拠点。身内にタリバンがいるほうが普通なのだ。

ミルワイズ病院でモレスタンディー外科部長と再会。部長は往診の最中で、空爆や銃撃戦の被害者を診察して回っている。
「前回訪ねた時、空爆で全身を焼かれた少女がいましたね。彼女は今どうしているのですか?」
「アッサン・ビビのことだね。彼女は村に帰ったよ」
「元気になったんですね」
「ザブール州の病院に移った。やけどの状態がマシになったのでね。うん、もう歩けるようになっていると思うよ」

まずは良かった。前回の訪問時に、こっそりと叔父に金を渡していたので、村へ帰るバス代にしてくれたようだ。彼女に会えないのは残念だが、良い知らせである。ちなみにビビちゃんはザブール州カラートというところに住んでいる。平和であるなら、車で2時間ほど。しかしザブール州は、最も戦闘の激しい州の一つ。車で行くのは自殺行為だ。

前回同様、外科病棟を見て回る。
野戦病院状態。顔や手足にギブスをはめた人々が苦しそうにうめいている。

ツーマディヤさん(25)はヘルマンド州の出身。5日前、村に2機の米軍機がやってきた。ヘルマンド州では連日のように、米軍の空爆が続いている。その日は、村の人々の誰か(タリバンとは言わない)が、その戦闘機にRPGか何かを撃った。その砲撃は米軍機には当たらなかった。しかし2機の戦闘機は、急速に村に向きを変えて、村の家々を空爆した。
「2人死んで、4人重傷をおった。俺たちは普通の農民だ。無実の人間をなぜ撃つのか?」全身の痛みに耐えながら、ツーマディヤさんは弱々しく、抗議した。

写真のサタール君(14)はウルズガン州の出身。20日前に、家の前で友人たちと遊んでいたら、ロケット弾が飛んできた。一緒に遊んでいた2~3人の子どもが死んだ。隣のベッドには、そのとき重傷を負った友人が入院していたのだが、本日朝、ウルズガンに帰ったが、彼はまだ治療が必要なので、ここに残っている。
その治療とは…。
彼の左手は皮膚の色が変色し、触っても体温を感じない。医師が「左手は、もうダメだ。これから切断する」と英語で。
左手の指を触りながら、「感覚がないの?」「うん」
「今から左手を失うことについて、どう感じている?」

するとイブラヒームが、「その通訳はやめておこう。彼はまだ自分の左手が切断されることについては、知らされていない」。
差し入れのジュースを上げると、ニッコリと微笑んでくれたサタール君。彼の今後の人生は苦難の連続だろう。

実はこのロケット弾は、米軍ではなくISAF軍(おそらくイタリア軍)が撃ち込んだもの。翌日ISAFの司令官とアフガン軍の責任者が、村に謝罪にやってきた。しかし謝っただけ。その後の補償は一切なかった。
「僕は、もう戦争に疲れたよ」。サタール君の小さな声に胸が痛む。

ディマ・ムハンマド君もやはり14歳だった。ザブール州の出身。1ヶ月前、ザブール州のメーンストリートを米軍が車列を作って通り過ぎた。ザブール州では空爆と地上戦が繰り返され、米軍部隊がコンボイ(車列)を作って、通過することは珍しくない。

ディマ君は遊牧民だ。毎日羊やヤギを追いかけて生活しているのだが、その日はたまたまメーンストリートで米軍と出会った。テレビも新聞もない生活。米軍の車列がどれほど危険か、彼には知識がなかった。ただ好奇心で近づいていった。ただ見たかっただけなのだ。
赤のレーザー光線が出た。これ以上近づくな、のサインである。もちろん、彼はそんなサインを知らない。
そして、撃たれた。

「僕はそのとき、ただ羊を追いながら、薪を集めていただけなんだ。足を打たれて、もう歩けなくなるかもしれない。歩けないと仕事ができないよ」。
米軍には、遊牧民の子どもが自爆テロリストに見えるようだ。1ヶ月を過ぎても、何の謝罪も補償もない。これが「大義ある戦争(オバマ大統領のノーベル賞受賞演説)」なのだろうか。
この病院に来るたびに、激しい怒りと悲しみに襲われる。

実はこの病院には併設して、看護師養成学校が建っている。この看護師養成学校の正面には、アフガン国旗と日の丸。ここは日本のJICAの援助で設立された。
治安上、日本の支援者はいないけれど、立派に看護師の卵を社会に送り続けている。
病院関係者が、私に好意的なのは私が日本人だからという理由もある。また前回インタビューした、国際赤
十字から派遣されている2人の看護師も、いまだに人命を救い続けている。

今後日本の援助のあり方が問われてくるだろうが、何も難しく考える必要はない。このような実績をそのまま伸ばしていけばいい。

War-torn country…戦争で切り裂かれた国。現地新聞は、よくこのような表現で自らの国をあらわしている。30年の長きにわたって切り裂かれ続けた国なので、平和にいたる道筋も、すぐには見えてこないかもしれない。しかし支援は確実に必要で、日本はその先頭に立てる国である。いろいろとフラフラしている新政権だが、給油をやめて平和貢献に徹すれば、きっとこのアフガン問題で国際社会を引っ張っていける活躍ができる、と信じている。

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このページは、nishitaniが2010年1月14日 12:59に書いたブログ記事です。

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