厳冬のカブールで 4

孤児施設1 ブログ用.jpg 写真はカブール市内の孤児施設 豊中市の小学生が描いた絵をプレゼントした

1月17日、ジャララバードよりカブールまで無事帰還。標高1800メートルのカブールは凍てつく寒さなのだが、雪は降らず「例年に比べ段違いの暖かさ」だという。
あらかじめ連絡を取っていたRAWAのカブール責任者と面会。

RAWAとはRevolution association of the women of Afghanistan つまり「アフガン女性解放協会」。(RAWAについては後日詳述する)
RAWAの案内で「戦争孤児施設」へ。RAWAはイスラム原理主義者からもカルザイ政権からも、組織解体を迫られ、弾圧されている。したがってこのような施設には看板が掛かっておらず、一見すると民家と変わらない。

RAWA担当者は、通訳のイブラヒームが同行するのさえ、拒否した。移動手段はタクシー。専用車だと秘密警察に尾行され、この孤児院がRAWAの運営だとばれてしまう恐れがある。日本で言えば戦争中の共産党の活動のようだ。

孤児院は3階建てで、この場所へ移転したばかり。前の場所は狭くて、増え続ける戦災孤児を受け入れるスペースがなくなったため、昨年移動したばかり。
普段は80名ほどの孤児たちがここで生活しているのだが、今は冬休みなので、片親が生きていたり、祖父母がいる子どもは故郷に戻っていて、本日会えたのは14名の子どもたち。
豊中市の小学生が描いた絵を子どもたちに手渡す。喜んでいる。

14名の子どもの中ではバーミヤン出身者が多かった。バーミヤンは雪深く、遠いので村に帰れず、ここで冬休みを過ごしているのだ。1998年からの「タリバン時代」、バーミヤンでは大虐殺が行われた。ハザラ人主体のバーミヤン自警団と、タリバンが大規模に戦闘を行い、結果、ハザラ人たちは虐殺されていった。当時1~3才で父親を失っているので、父の記憶がない子が多い。

この子どもたちは主に欧米の「養親」がバックアップしていて、子どもたちが中学卒業後も「学びたい」という意思があり、養親たちが「支援する」ことを続ければ、高校にいけるが、この二つの条件がそろわなければ、働くことになる。

孤児院の次は、病院を訪れる。カブール市、インディラ・ガンジー子ども病院で、私はイラクと同じ光景を見ることになる。

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このページは、nishitaniが2010年1月19日 12:43に書いたブログ記事です。

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