不発弾で遊んでいたら・・・

ジルガ前 正門で.jpg 写真は、ジルガ会場前の特殊警察部隊 撮影はNGなので隠し撮り。


昨日のピースジルガ会場前でのテロ事件は死者2名、重傷者1名だった。ジルガの会場を教育大学と記したが、教育大学に隣接して建っている「警察学校」の中で会議が行われているのであった。
4回の大きな爆発音の内訳は、自爆が一回とRPGロケット弾攻撃が3回であった。

自爆攻撃者は、ブルカをかぶって女装した若者だった。最近は、障害者や子ども、女性も自爆を行うので、検問はすべての人を対象にしたものとなる。

本日(6月3日)のピースジルガはマスコミを遮断して行われたので、やはり中には入れなかった上に、前日以上の警戒態勢で、どこへ行くにも止められる。
結果、交通渋滞に巻き込まれ、不便この上ない。

そんなカブール市内中心部にあるパルワン・ドゥー、セ避難民キャンプを訪問。ドゥーが2、セが3という意味なので、「谷町1丁目」「2丁目」キャンプ、といった感じ。

今年1月、両キャンプに支援物資を配布した。あの時は凍てつく大地に裸足の子どもたちが心配で、「死ぬなよ」と念じたのだが、やはり何人かは亡くなっていた。先月だけで5人の子どもが死んだ。栄養不足による病気、風邪、下痢。
約100人に満たないキャンプで、5月だけで5人の子どもが死んでいるという現実。明日、可能ならば近所にあるお墓を訪問する予定。

2ヶ月前にやってきたという男性がいた。
「どこに住んでいたの?」
「バグランだ」(米軍基地で有名なところ)
「何で逃げてきたの?」
「息子が死んだからだ」
9歳の息子が、道ばたに落ちているものに興味を示し、棒でつついていたら爆発、駆けつけてみたら、遺体は散り散りになっていた。
彼にはまだ幼い息子と娘が3人いる。不発弾だらけの村には住んでいられない、とカブールに逃げてきたのだ。
息子の写真を撮影。写真は珍しいのでかなり前の幼い写真である。
不発弾は旧ソ連軍のものだった。
「現在戦争をしているアメリカと、不発弾を残していったロシアと、どちらが憎いですか?」
「単純には比べられない。どちらの国も嫌いだ」

そうだろうな。

今年32歳になる父親は、鳥かごを作ってそれを道ばたで売る。鳥かごは一つ300円ほど。たくさん売れて、生き残った子どもが学校に行けるようになればいいのだが。


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このページは、nishitaniが2010年6月 3日 22:33に書いたブログ記事です。

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